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寝台車付きの鈍行列車を語る

1 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:23:15 ID:jgKBzs7o0
かつては鈍行の夜行列車が数多く存在しましたが、その中でも寝台車付きの列車もありました。
「山陰」、「ながさき」、「南紀」(のちの「はやたま」、「からまつ」。
これらについて語ってください。


2 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:26:41 ID:MNy9/T/20
やだ

3 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:29:50 ID:ewu0HNodO
亜希子

4 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:30:37 ID:jgKBzs7o0
http://www.bell86.co.jp/bell/members2/yadaakiko1.htm

5 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 16:23:19 ID:ITybZ8F7O
寝台車か…

宮形が少なくなりつつあるそうだね。

6 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 17:03:29 ID:jgKBzs7o0
でも、そんな時代もあったんですよ。
寝台車付きの鈍行なんて、ある意味とても贅沢です。

7 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 18:24:10 ID:Kz8L9hDU0
>>5
自動車ネタ却下

8 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 18:43:14 ID:874H5/+30
これらの全てに乗りました。全て10系寝台車の時代です。「南紀」にはスハネ30もあったと思いますが、
さすがにそれは知りません。昔の「ワイド周遊券」で移動していた時代には、寝台料金だけで乗車できる
これらの寝台車は貴重でしたね(もっとも、それでさえ贅沢でしたが)。
どれも1両の寝台車は他の一般車両と“隔離”された一種独特な雰囲気がありました。
車内放送も一般車両と分離され、ほとんど放送がなかったので、いつも異様に静かでしたね。
「はやたま」のように恐ろしく朝早い到着の列車では安心して寝ていられなかったり、「からまつ」
のような到着の遅い列車では、起きても居場所がなく窮屈な寝台の中でジッとしているのが返って
疲れたりしました。
どの列車も、一般車両の端っこに寝台車がひっそりつながれていたのを思い出すと懐かしいですね。

9 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 21:04:39 ID:4DAkINamO
碓氷峠鉄道文化むらに展示してある10系寝台事オハネ12は場所が場所なだけに「越前」に使っていたと勘違いしがちだが実は九州の「ながさき」に使われていたのです。

10 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 21:08:37 ID:GdjNP05m0
ムーンライト八重垣は一時期ハネ付きだったな。

11 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 22:00:40 ID:XZorVYmT0
オイラが乗ったことがあるのは急行「日南」。
宮崎以南は普通列車だった。

24系25型が普通列車運用に就いていた事はあまり知られていない(かも?)。

12 :名無しでGO!:2006/11/13(月) 22:56:59 ID:874H5/+30
私が初めて寝台車に乗ったのは、「日南」の前身の「みやざき」。当時から宮崎−西鹿児島は
普通列車だった。静まり返った霧島神宮の駅から、DF50の牽く「みやざき」に乗った。
オハネ12 71のベッドランプの裸電球の灯りが今でも思い出される。

13 :名無しでGO!:2006/11/14(火) 00:20:52 ID:aOfevInY0
そうですね。
あの裸電球は哀愁を感じさせてくれました。

14 :名無しでGO!:2006/11/14(火) 22:09:39 ID:aOfevInY0
>>8
寝台の解放はなかったのですか?
中段を跳ね上げて座席にする。

15 :名無しでGO!:2006/11/14(火) 23:02:42 ID:iV62/G8q0
>>14
「からまつ」「山陰」など夜が明けてからの走行時間がある列車でも寝台の解体はありませんでした。
場合によっては車掌さんがまだ乗っている乗客の区画の中段ベッドを片付けたりはしていましたが、
その頃には乗っている乗客は僅かだったので、見捨てられたようにそのまま釧路まで行きました。
>>11
「日南」のような末端普通列車になる急行寝台は末期でも所々にありましたね。
「大雪」の北見−網走、「妙高」の長野−直江津、「だいせん」の出雲市−大社などがありますが、
ここのスレタイの意味とは多少違いますね。

16 :名無しでGO!:2006/11/16(木) 13:31:48 ID:u1ZWsA7N0
保守

17 :名無しでGO!:2006/11/16(木) 22:18:33 ID:t9MGixx90
寝台車付きの鈍行列車が復活しないかな。。。
一夜限りでも。。。
嗚呼。夢、一夜。。。

18 :名無しでGO!:2006/11/16(木) 23:37:55 ID:9LJXpA+80
願わくばタイムスリップしてこれら鈍行列車に乗りまくってみたい。
20系にはギリギリ乗れたが10系寝台には乗れなかったYO。

19 :名無しでGO!:2006/11/17(金) 00:14:08 ID:VHw0lrTI0
実は私も寝台車付きの鈍行夜行には乗ったことがない。
座席の夜行鈍行列車は何度かあるが。。。
JR化後に生き残った寝台車付きの鈍行夜行は無かったが、
JR化後も生き残った鈍行夜行の中では
宇高連絡線の最終(?)接続の土讃線の鈍行夜行が一番好きだった。
あの50系客車が、夜汽車の雰囲気がたっぷりだった。。。


20 :B@a:2006/11/18(土) 00:09:09 ID:wjIxPfZg0
↑は図書館で、
西村繁男「やこうれっしゃ」(福音館書店[こどものとも傑作集])
を読んでみよう。

21 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 00:13:16 ID:UQRu9kCAO
とりあえず酉はムーンライト八重垣を再開汁

22 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 11:53:24 ID:B6XDAoU/0
寝台連結の鈍行列車の中でも一番利用時間が短かった「はやたま」。私はある冬の夜、天王寺から乗った。
この列車は別名「太公望列車」と呼ばれるくらい釣り人の多い列車として有名だった。
週末ともなれば釣り人が自由席を早々に埋め、帰宅を急ぐサラリーマンが発車間際に飛び乗って来る
という列車でもあった。
1両の寝台車は新宮方にポツンと付き、スチームの漏れた煙で覆われ静かに発車を待っていた。
乗って来るのはやはりほとんどが釣り客だ。大きなクーラーボックスを棚やベッドの間に押し込むと、
早くも明日の釣果を期待しての釣り談義と、前祝いの祝杯。列車が発車してもそれは続き、一向にベッドに
収まる気配がない。夜も更けた紀勢本線に入ってようやく車内は束の間の静けさに包まれる。
しかし、それも長くは続かず、深夜の白浜辺りから車内がゴソゴソ動き出す。江住、和深といった海岸に
近い駅で早くも下車する客がいる。そして串本に着くと寝台車の乗客の殆どがゴソっと降りていった。
自由席からも大挙して降りた大きな荷物を背負った太公望がホームに列をなし、そして改札に回っていくのが見える。
再び静寂の戻った車内。束の間の眠りである。しかし、それも程なく終着を告げる放送で破られた。
新宮にはまだ夜も明けない朝5時過ぎの到着。折角の寝台もなんか中途半端な気持ちのまま降りなくてはならないのが切ない。
寝ぼけ眼がホームに降りた途端に朝の冷気でシャキッと冴えた。
そしていつも朝早くから店を開けている立ち食いうどんの湯気に誘われていく自分がいた。

23 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 12:24:28 ID:EmN+H/P20
1978頃寝台車ではないけど京都→出雲市で「山陰」に乗車した。
当時は鉄オタではなく単に「旅費節約のため、出雲号乗れなくてやむ得ず」
という事情で乗車のため京都駅ホームで車両のボロ具合にビビッた。
座席車でも結構込んでいて8割くらいの入り。
同じボックスは修道女(シスター?)コンビと今にも死にそうな老女で憂鬱な気分だった。
朝は結構混んで立ち客も発生。
通学の高校生が「寝台車にも入らせろ」と車掌に詰め寄っていた。

24 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 13:04:17 ID:Ch6AfeeC0
>>23
その高校生すごすぎる・・・・

ところで昔の下り「からまつ」、B寝台車2両のうち、1両は池田
から回送扱い。切り離すわけでもなく釧路までそのまま行くのに、
なぜそのようなことをしていたのかいまだに理由がわからない。

25 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 14:38:24 ID:B6XDAoU/0
>>24
そうだったね。言われて思い出した。「からまつ」の寝台は2両あった。言われる通り1両は
池田−釧路は回送扱いだった。理由は私も分らない。確かに帯広、池田で降りる人が多かった
のは事実で、釧路まで行く人は到着時間が遅いこともあって少なかった。まぁ、単に車掌の
巡回の都合とか、ホームの長さ制限から来ていたと思えなくもないが。
そういえば、昔は手動ドアの客車から飛び下りるなど珍しくなかったからな。ホームのない所
に止まると線路に飛び下りるしかないのだが、これ意外に高さがあって、結構勇気がいるもの
だったね。でも、皆何とも思わず平然と降りていた…。

26 :B@a:2006/11/18(土) 22:27:32 ID:wjIxPfZg0
鈍行ではないけど、その結果、琴奏者の宮城道男が盲目の為走行中の列車カ

                                  転,,死sh
 

27 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 16:14:42 ID:SdcM0CCk0
中国には寝台車付けてる鈍行が健在だよ。
安いから乗ってみると面白いかも。

28 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 12:54:59 ID:cPMQvlFy0
提げ

29 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 00:12:53 ID:AahB4k0M0
保守

30 :B@a:2006/11/28(火) 11:43:29 ID:TO6XOW1Y0
運転停車

31 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 13:34:19 ID:zOgfOA/s0
>>26
その現場の喪寄り駅から今帰宅した。

32 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 17:34:03 ID:GmjCSn1t0
80年代半ばに、唯一「山陰」だけには乗った。残念ながら普通車。
今、思えば寝台車に乗っておくべきだった。
城崎から京都までの上り列車で乗車区間が短かったため
寝台料金をケチってしまった。

33 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 22:54:18 ID:vKA+Wooq0
全ては遠い夢の中なんですね。

34 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 23:18:27 ID:FTFmMSbr0
急行出雲のオロネ10、乗ったなあ。

35 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 10:36:28 ID:8fr6CIyh0
sage

36 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 13:31:19 ID:tp6qZvOs0
1984年だったか、下り「ながさき」最終日に短区間乗ってみた。
当然のことながら機関車次位のB寝台は満席(満ベッド?)でカーテンが閉まっていたし、
普通車も一般の乗客や最終運転目当ての人で満員。
長崎大学鉄道研究会の腕章を付けた大学生が写真撮影、録音、インタビューといった取材に大忙しであった。
確か、僕も録音を録った覚えがある。実家にあるかな?


37 :名無しでGO!:2006/12/01(金) 23:03:15 ID:tjGe5uKj0
もし再び寝台車付きの鈍行が運転されたら

38 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 08:53:37 ID:ICq4v0at0
>>37
速さの点では飛行機や新幹線、特急、
安さの点では高速バスやカプセルホテルが一般化した今、
鉄道愛好者くらいしか乗らないんじゃないですか。

もっとも、単発のイベントなら物珍しさにそれなりの人が集まるでしょうが。


39 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 10:42:16 ID:0SXrto7w0
>>37
「ムーンライト九州」に寝台車がつけば使うかもしれん。

40 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 11:10:23 ID:YgMqwrl/O
急行日南の末端区間、宮崎〜西鹿児島なら普通列車寝台に乗ったな、寝台2両で西鹿児島まで自分入れて3人だけだったよ

41 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 19:41:25 ID:OVyj92Nz0
門司→福知山824レを乗りとおした後、下り山陰ハネで折り返したよ。

42 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 20:50:11 ID:UovpDY5e0
>>41
待ち時間一時間たらずだし、その当時は深夜も
待合室のキオスクは空いてたし、やったことあ
る人は結構おったやろうね。

「山陰」かぁ。旧客の頃、上りに乗って、手当りしだいに
「下車印」を貰いまくったなぁ。

43 :514:2006/12/03(日) 08:35:24 ID:klSwNQmq0
>>41
漏れは上り山陰に乗り継いで京都へ出たな(座席車だったけど)
さほど待たなくても乗り継げた記憶があるんだが、ちょっとその辺の記憶が怪しい

44 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 15:01:00 ID:J1Lpy1EA0
>>43
昔は

23:50頃 524レ福知山到着
02:50頃 上り「山陰」到着 03:40頃発車

位だったんじゃないかな?記憶はあいまいだが


45 :_:2006/12/05(火) 01:03:55 ID:cPPKEUjL0
別の板にも書いた自走寝台車両(連結相手は選択自由な構造)
での普通列車併結の旅。

使い切れない小遣いで、ハイブリッド走行の個室寝台車両を新製。
昔の鉄道王オーナーみたいに、気の向いた時に、「何処何処へ行け!」は
無理だけど、例えば月曜日の朝に稚内を出発して、何線何駅を経由して
長崎までと注文。連結列車を指定しても良いし、お任せでも可。
夜はどこかの駅の留置線でお泊り。
朝動き出した音で目覚めて、車窓をおかずに朝食を楽しむ。
地方の友人に、「何時何分に××行きにt連結しているから」って電話呼び出し。
お茶で旧交を温める。好きな所まで乗ってっていいよ。
どこどこでは何君も呼ぶから、一緒に飯食おうよってね。

車両の製造費は別として、車両の定員数×毎日10万円で出来る計算。
同好の君ら、たまには贅沢しようぜ1

46 :名無しでGO!:2006/12/06(水) 10:46:35 ID:ZnB1BvfK0
sage

47 :名無しでGO!:2006/12/07(木) 08:26:33 ID:vlpdqGcY0
  

48 :名無しでGO!:2006/12/07(木) 11:24:31 ID:EKc/cCaT0
寝台特急廃止で余っている寝台車をムーンライトには使えないの?

49 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/07(木) 16:18:57 ID:57Jk3rMbQ
ちなみに山陰は餘部を通過していた。
10系寝台は素晴らしい ただ当時 小学生だった俺だから寝られたけど今だったら・・・・・
まぁ ながさきにしても荷物輸送がメインで実用性はないよね
魔の60年3月改正で山陰が消え全滅したが・・・
俺は普通列車ではないが急行鳥海がベストだと思う。
旧型客車&10系は夜行列車のムード満点!
山陰も晩年は12系だったのがガッカリ

50 :名無しでGO!:2006/12/07(木) 22:38:13 ID:TzO+7Ar90
>>8
「南紀」・「はやたま」の時代は10系でしたよ。
両数も機関車(たいてい58)+荷物車+ハザ4+ハネ2が基本で「はやたま」末期はハネ1両でした。(数ヶ月ハネ無しの時もありました)

51 :名無しでGO!:2006/12/07(木) 23:00:58 ID:WX9T2cyu0
「ながさき」でスハネ16 62
「山陰」でオハネフ12 2094に乗った。
オハネ12に乗りたかったが果たせず。
ところが意外にも横川の保存車がオハネ12で
保存車ながら、各種車内に入った事となった。

オロネ、オロハネやオハネフ13が無ぇじゃねぇか
ってのは無しね。
普通列車には使われなかったから。

52 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 02:10:17 ID:z4TvcgAH0
「はやたま」は、一両だけ和歌山市発のハザもあったね。

53 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 02:14:32 ID:r0C/nLvN0
オハネ12、かつてはそこら中で見られたんだよな。。。

54 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/08(金) 04:10:19 ID:+585RHCfQ
>>53
まあね オハネ12は10系でもメジャーなほうだからね。
逆にオロハネ10なんかはグリーンマックスのキットしかみたことないくらいマイナーだよな。
しかしよく考えたら山陰廃止後 10系寝台は運用されていないよね?

55 :1968生まれ:2006/12/08(金) 12:30:55 ID:7IEkbWMC0
寝台車付きの鈍行は一度も乗る事がなかったな。
生まれて初めての青春18旅行「1984.3」で、上り山陰に乗った時に
ほんの僅かに車内に入ったくらいだった。確か最後尾に連結されてたような。
あの黄色の独特な照明と、その雰囲気が今でも忘れられない。
鳥取以西では、寝台車と座席車「12系」の間は鍵がかけられて行き来ができなくなっていた。
この時代は「わたしの旅、駅スタンプ」の全盛期で停車駅毎にホーム、階段を
ダッシュし我先ににスタンプ台を目指したものだった。
この年は大垣夜行345Mと新宮夜行924レにも乗った。
924レは丁度、寝台車をはずされて間もない頃だったと思う。
今でも天王寺駅9番線ホームには当時の乗車位置がうっすらと残ってるよ。


56 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 17:34:57 ID:8lUwv2kyO
59-2当時の「山陰」は57-11改正で宮原から来たオハネフ12が使われていた。
2010
2018
2022
2033
2094
の5両、2094は妻板のリブ無し。

57 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/08(金) 20:16:06 ID:+585RHCfQ
餘部鉄橋の架け替え費用は兵庫県と鳥取県が8割を負担するにもかかわらず寝台特急出雲は廃止された。自治体は騙し討ちだと激怒した。
ちょうど その頃 出雲廃止問題を米子駅の職員さんと話したことがある。彼の話によれば
「繁忙期でも利用客はサンライズにながれ出雲はガラガラ」だそうだ。
そこで俺は提案した。山陰復活!!!!!!
出雲が東京を発車した時間にのぞみを利用し京都で乗り換えは我慢してもらうも当時 山陰が発車していた時間より少し遅らせ山陰を運用する。
料金は寝台利用のみ当時の出雲の料金と同額にする。
名付けて山陰線夜行切符!!
彼の言い方だと京都寝台という表現を使っていました。
ただ京都寝台復活には私も個人的には賛成とのありがたいお言葉を頂戴しました。
ただ現実には東日本と東海が新幹線を$箱にしているから寝台1両もしくは2両分とはいえ同調するのは難しい!
ただ過疎地帯の山陰地区に歯止めをかけるために是非実現してもらいたい。
旧型客車+10系寝台でなんて夢物語は言わない。
24系か14系で残りの座席車は12系か14系か50系で十分
それか座席車を確保できないなら4両の寝台車のみでもよい。

58 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 20:46:09 ID:8lUwv2kyO
57年の大晦日に「山陰」に乗り舞鶴の実家に帰りました。

東京を1848発の新幹線と思います。京都を出て年が変わる頃にスハ42のデッキに立てば冷たい風と煩悩の鐘の音が心に残ります。
綾部まで迎えに来て貰いました。
その日の寝台車はオハネフ122033で「きたぐに」のお下がりでした。

オハネフ122094は57-11で龍華に行き59-2で出雲に来ました。

59 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/08(金) 21:03:51 ID:+585RHCfQ
>>58
スレッド違いで申し訳ないが、現在の急行きたぐにもいずれはなくなるような気がする。
国鉄色ではないのが残念だが三段寝台の最後の生き残り。
583も老朽化が激しいから乗っておく価値はあるね

60 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 10:29:51 ID:esNiCdIV0
sage

61 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 17:14:43 ID:Zxo1+VxP0
50代のおじさんです。
夏休み大阪万博の帰り、山陰夜行829レに乗りました。
日豊夜行1521レ,1522レ(オハネ12冷房車)には乗ったことがあり、
そのつもりで京都駅に行ったら、スハネ30!!
冷房無しで毛布の代わりに、ごわごわした厚手のシーツが用意されていました。
さらに寝台通路には釣り客が進入していました。(当時九州の国鉄は、指定席に
自由席客が入ってくるのを激しくチェックし、禁じていました。)
出雲大社などを観光した後、急行「さんべ」で 九州に帰りましたが、当然冷房寝台。
(オハネ12か)その落差は結構カルチャーショックでした。
2夜行連続で利用したのはこのときだけです。

62 :名無しでGO!:2006/12/11(月) 02:10:26 ID:9uA6Ggnk0
>>59
老朽化と言うよりも陳腐化と言った方がいいな。
ただし「きたぐに」はなくならないだろうけど。

「南紀」後年の「はやたま」の回送を天王寺駅環状線ホームと
関西線ホームの間の中線でよく見かけた。客車の新旧は別にし
て、明らかに「別次元」の列車だったなぁ。
天王寺駅9番線到着後、推進運転で環状線寺田町方の引上げ線へ。
その後、その中線に入線ののち、客車はDE10に牽引されて帰区。
EF58もその後を追うように単機で帰区。今の天王寺駅からは想像
も出来ないような光景。

>>55
> 今でも天王寺駅9番線ホームには当時の乗車位置がうっすらと残ってるよ。

これは見に行かねば。


63 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 15:30:50 ID:9DUG/8Al0
実際問題、寝れるのか?
あの客車独特の停車・発車時の揺れが頻繁に来るわけだろ?

64 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/12(火) 18:24:42 ID:8kJGrTyqQ
>>63
その揺れや振動が心地いいんだよな
(徙)。。。

65 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 18:49:39 ID:8oIPz6iX0
ナハネ11からオハネ11ではなくオハネ12にしたのか?
12番は使われているのに、なぜ12系は12系になったのか?
20系はベンチレターなしなのにオハネ12はどうしてベンチレター載せられたのか?

66 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:16:46 ID:psHh8yeWO
>>53-54
ヲィヲィ
オハネ12はマイナーな方だよ。
電暖車が無かったから
東北・北陸方面の列車では使われなかったし
運用の都合からスハネ16やオハネフ12になる日もあり
必ずしも連結位置を特定できなかった。
メジャーだったのは
オハネフ12とスハネ16。特に
オハネフ12は10系寝台の緩急車と言えばこの形式、と言っても過言ではなく
10系寝台の連結された列車の編成端に
オハネフ12が連結されない列車の方が稀だった。

オロハネ10は
列車も連結位置も限定され、しかも
時刻表の編成表で容易に判別できたから
その気になったら乗るのは容易だった、そうだ。

67 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:45:29 ID:/8NJf2Qs0
からまつには、ハネ増結は釧路小樽、池田行きはレプのみ.

68 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 20:26:41 ID:S0PXdi6uO
61のおじさんへ

手元の47年の配置表で出雲市には

スハネ16
55
118

スハネ30
2125

が配置されてました。

ある意味幸運?

69 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 21:05:40 ID:0ijiE6Mu0
>>63
昔のウテシはその辺上手。

もちろん下手なのもいたし、昼間の鈍行は明らかに投げやりだった気もする。

70 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 22:14:45 ID:6AofDJ7H0
>>63-64
あの揺れがたまらないのですが、、、、

71 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 22:18:25 ID:7wF2yaSH0
南紀 はやたまは元々天王寺2番ホームの発着だったが天王寺駅ホーム延伸工事のときに9番線発着になった。

72 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 13:42:25 ID:E1g1TSvW0
南紀(53-10改正以前)と、はやたまは小学生の頃
親戚の家の帰りに良く見かけたなぁ。
天王寺発なら寝台車は一番うしろに連結されてたような。
そう言やオカンに(あの電車は何処まで行って、何処を通るん?)と聞いたら
(奈良を通って伊勢まで行く)とか適当な事を言ってやがったなぁ。
この頃の阪和線は旧国にブルドック、EF15さらにEF52も走っていた。
でも53-10改正以降は急速に近代化?された。

>>62
あの連絡線は数年前に撤去されたよ。

73 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 05:02:48 ID:1xXfbs6K0
山陰に乗れなかったのがいまだに悔やまれる。
10系寝台の最後の牙城だったからなぁ。

自分的には銀河やはまなすを全車指定の快速化して発展的に解消させるのもありかと思う。
寝台車メインで座席車を3〜4両つないで。

74 :ビッグバンベイダーU ◆vKAh.Xm7jk :2006/12/14(木) 17:17:12 ID:DFzvd1wTQ
>>73さん
はまなすはいいかもね
ただ銀河はあくまで寝台急行がうりだからね
やはり 出雲が廃止された今 山陰を復活させてもらいたい。
俺は急行銀河はかつての急行鳥海のような バンカラな列車化するのもありじゃないかと思う。
牽引を58にして何両かを座席車をつなぐだけで少しは夜行列車のムードはあがるね


75 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 21:21:00 ID:uKqNNCHp0
>>73

ttp://uploader.onpuch.co.uk/img-box/img200612142119404e4ea.jpg

夜中まで関西人が五月蝿くて、寝れなかった。

76 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 10:49:41 ID:5mqiQM3Y0
hoshu

77 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 22:29:00 ID:Dd9ne+Mj0
>>62
客車は竜華所属だったと思う

78 :名無しでGO!:2006/12/18(月) 02:30:43 ID:hlPx2scH0
宮脇センセイが乗ったことがあるのは?

79 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 00:33:00 ID:PkqOL96k0
sage

80 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 18:23:08 ID:LLoArHTSO
からまつB寝台2両のうち
1両は池田締切というのは
池田で寝台車の需要が大きな差があるから行なわれた措置なのか
それとも別の理由があったのか?

81 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:20:55 ID:j4CoTje60
>>80
はっきりした理由はわからないが、ホームの有効長の関係や乗務員扱いの都合だと思う。
確かに多くは帯広、池田までの利用だった。釧路まで行くのはそれほど多くなかった。

82 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:22:41 ID:bAw948nN0
>>54
オロハネ10(登場時はナロハネ10)は「さんべ」と「大雪」「利尻」の限定運用だった。
(急行時代の「出雲」でも増結車として使われた事もあったが)
全部で9両しか作られなかったし、地方でしか使われなかったから、大多数の
人には無縁の車両であったのは仕方のないところ。
それよりも、当時はそんなローカル夜行列車でもA寝台の需要があったという方が
今となっては驚きである。


83 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:36:12 ID:bAw948nN0
>>80
「からまつ」は基本的に札幌圏と十勝圏を結ぶ列車として設定されていた。
これは「狩勝」が札幌と釧路方面(及び根室・釧網線方面)を結ぶために
十勝地区を深夜・未明帯に走行するために使い難いものであったため。
但し、車両運用の都合(正確には編成に連結されていた荷物車や郵便車
の都合)で列車そのものは釧路まで行く必要があることと、途中での編成
の分割・併合はいろいろ問題がある(特に冬季間)ため、編成全体が釧路
まで行っていた。
あと、池田以東でも音別・白糠地区の通学列車の役割も一応はあった。
(まあ、それほどの数ではなかったけどね)


84 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:48:33 ID:bAw948nN0
寝台車付きの鈍行列車で過去に一番豪華な装備だったのは、
おそらく2001年7月に運行された「北斗星まりも」の釧路〜根室間。
まあ、正確には札幌〜釧路間(特急)の季節延長区間であり、この
区間だけの寝台利用はできなかったのだが、それでもロイヤル・
デュエット・ソロにロビーカーも繋げられた普通(快速)列車は空前
絶後ではないかと思う。


85 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:52:13 ID:M1e+qekT0
>>82
登場時はアルプスに連結されてたろ?
地方でしか使われなかったなんて事は無い。

86 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 20:56:45 ID:WclEyG9C0
>>84
寝台車付普通列車と言えば
からまつ、南紀(はやたま)、山陰、ながさき
を思い浮かべる者にとって
ムーンライト八重垣
で一時的とは言え復活した事自体が驚きだったのに
そんな列車があったとは ・・・

87 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 22:56:25 ID:WclEyG9C0
>>82,>>85
使用列車は
数年前のピクの10系寝台車特集に詳しく載っている。
意外なところで
新幹線の工事車に化けたのもあったな。
スレ違いスマソ。

>>86
自己レスだが
「だいせん」くずれの大社線普通列車が
20系で走っていたね。
今だと(電車だが)「きたぐに」の新津→新潟みたいなモノかな。

88 :名無しでGO!:2006/12/19(火) 23:15:52 ID:ExOidMj60
>>87
> 「だいせん」くずれの大社線普通列車

これって寝台車は開放だったんだろうか、とか気になるw
座席車の方は通学時間帯にあたってたので大盛況のはずなんだが。
おそらくリネン撤収とかだったろうけどね。

けど、「山陰」の座席車が12系になった時は萎えたなぁ。
見かけは「きたぐに」みたいになったけど。




89 :名無しでGO!:2006/12/20(水) 11:36:46 ID:w1icnvRt0
>>82

> それよりも、当時はそんなローカル夜行列車でもA寝台の需要があったという方が
> 今となっては驚きである。

昔は旅行自体が「晴れの場」だったと聞いています。


90 :名無しでGO!:2006/12/20(水) 11:45:08 ID:TbHs8cEB0
そういや「出雲」くずれの普通列車なんてものもあったな。

91 :名無しでGO!:2006/12/20(水) 13:46:12 ID:E+BpBn720
>>89
というより、お偉いさんが出張する時なんかのためにA寝台を連結してたのね。
昔は地方に空港がなかったからそういう需要が多かったんだね。

92 :名無しでGO!:2006/12/20(水) 15:28:23 ID:PGmHsUKd0
>>55
夜勤明けに行って来たよ天王寺駅9番線。たぶん「はやたま」の頃のモノかなぁ。

発車時刻・丸印付き
ttp://hokaichi.net/doko/mondai/IMG/img20061220152304.jpg
丸印のない所には列用のライン付き
ttp://hokaichi.net/doko/mondai/IMG/img20061220152331.jpg





93 :名無しでGO!:2006/12/21(木) 13:50:32 ID:KvSBmHzq0
>>90
出雲3号の知井宮行きだったっけ?

特急・急行くずれまで含めれば結構あるかも。
そうなると
大雪くずれの普通列車は、いろいろ話題になっている
オロハネ10を組み込みだったっけ?

94 :名無しでGO!:2006/12/21(木) 20:23:10 ID:FquRmFdU0
>>93
yes


95 :名無しでGO!:2006/12/21(木) 21:14:08 ID:v6QrI2DC0
>>93
一番初めに北海道へ行った高校2年の夏、「大雪」でオロハネ10に乗りましたよ。
もちろん「ハネ」でしたけどね。「利尻」にも付いていたのじゃなかったかな。
で、どうだった?と言われても…記憶にはございませんが。牽引機が北見からC58でしたね。

96 :名無しでGO!:2006/12/23(土) 07:30:24 ID:Na7KznJ9O
急行くずれまで含めれば
10系寝台車の冷房化後の全形式が
普通列車に定期で使われた事があるのかな?

97 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 07:57:31 ID:xix2k0xM0
sage

98 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 20:11:09 ID:Q0LCk8pm0
>>96
E26系が普通列車に入ってるのは見たことないが・・・

99 :96:2006/12/24(日) 20:42:30 ID:vHbHc1qeO
>>98
E26って
10系じゃなかろう。
時代的にも全然違うし。
釣り?

それはそうと
次は100かな?

100 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 21:18:26 ID:c+lt5hdL0
100get

101 :名無しでGO!:2006/12/25(月) 18:55:43 ID:nZO5elVYO
スレの本筋からははずれるが
定期の夜行普通列車のうち
グリーン車付きの方が
寝台車付きよりも少なかったのかな?

グリーン車付きは
大垣夜行と四国のしか思い浮かばないのだが・・・

102 ::2006/12/25(月) 20:52:20 ID:nR06qToi0
>>101
2等車・3等車の時代は夜行の定期普通列車には
たいてい2等車が連結されていたよ。寝台車がなくてもね。
昼間の普通列車にも良く半車の2等車がついていた。

地方にある大手の会社の工場では、
転勤する管理職は2等車で任地を離れる不文律が。
小さな駅でも社宅の大勢の見送りがあった。
当時の2等車は3等の倍の値段だから、
乗車券は「異」級にして、ちょっと先の駅で
3等車に乗換、宮仕えは辛いよ。

乗車券の色は上級の水色だからちょっとリッチな気分。
青函連絡船に1等寝台があった時代は、
薄い鶯色の1等切符、そりゃ他には「つばめ」「はと」
しかない1等車だからね。

103 :名無しでGO!:2006/12/26(火) 13:39:48 ID:pAUso/T80
高三の夏、「ながさき」のB寝台に博多から乗車。 
車掌さんの声で目が覚めたのは長崎駅のホーム停車後、 
しかも他の乗客は全て降りたあと。 
オマケにパジャマに着替えていたので、直ぐに降りるわけ 
にもいかず、大いに焦った。 
夏休みにも関わらず、寝台車の乗客は少なかったように
思う。

104 :名無しでGO!:2006/12/27(水) 07:51:29 ID:hNo8Av4I0
sage

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