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東北夜行の思い出

1 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 10:11:05 ID:HDHzxDz00
大垣夜行、中央山岳夜行があるので立ててみました。

周遊券世代だと関東からの場合、西は大垣夜行、北は「八甲田」「十和田」「津軽」が定番でしたね。
昔の夜行鈍行もありで寝台車なしですすめましょう。



2 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 10:26:58 ID:yTZhr+p2O
ぬるぽぬるぽぬるぽ〜 ぬるぽ〜と〜叫〜ぶと〜
ガガガ ガガガ ガガガ ガッ!
ガガガ ガガガガ ガオガイガー
ファイナルフュージョン承認だっ!
今だ超人合体だっ!

3 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:42:48 ID:HDHzxDz00
北海道行くときは八甲田によく乗りました。
上野駅13番線がなつかしいです。


4 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:45:30 ID:6wqOSbwe0
651系で復活してくれ

5 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:47:06 ID:NkjQqysAO
やっぱ「ゆうづる」ではないか?

6 :名無しでGO!:2006/11/11(土) 22:07:28 ID:mISpdjA20
津軽だろ!

7 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 11:59:30 ID:NbuC8q6E0
「おが」の元祖ゴロンとシート

8 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:14:31 ID:+6o+qWEW0
デイリー男鹿!

9 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:20:02 ID:laRMt9iK0
津軽、八甲田を使っての夜行折り返し

10 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:45:31 ID:sEuhz8r5O
ムーンライト八甲田をキボンヌしてみる

11 :名無しでGO!:2006/11/12(日) 16:54:33 ID:0Sk9y7AJ0
上野行き津軽の1号車に乗って「くそ、スハフかよ…」とか思いつつ就寝。
明け方に目が覚めるとデッキの向こうの機関車の顔が赤から青に変わっていた。

ちょっとした思い出。

12 :名無しでGO!:2006/11/14(火) 00:21:31 ID:H0FmxLvsO
はくつるに乗りたい

13 :名無しでGO!:2006/11/15(水) 21:00:10 ID:bHvGaHzu0
「上野発の夜行列車」に乗って、歌手の名字のような駅で降りてみたい。

14 :名無しでGO!:2006/11/15(水) 21:07:50 ID:TGIQi4uz0
津軽は14系、583系乗ったけど、583無断でごろんとがお気に入りだった。
20系おがもよかった。特にA寝台から座席改造車の乗り心地の良さといったら
なかった。24系よりよかった気がする。すごい静かだったし。


15 :age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/11/16(木) 01:27:43 ID:GQGqEmRy0
年末年始に上野駅から上越・羽越・奥羽線経由で青森へ向かう、583系
ゴロンと号が走るけど、これが東北夜行の面影を残してる事になるかな。
ただ心配なのは冬期の上越線と羽越線の長期不通かな。今シーズンは
何事も無きゃいいけど…。

16 :名無しでGO!:2006/11/16(木) 11:01:08 ID:Hpf6DkdPO
3セクだのミニ新幹線規格だのになってしまったから、
青森や秋田へ走らせるにも、もう高崎、上越、羽越線経由しか走れないんだよな。
(北上線や陸羽東線でも実績があるから可能だが、そこまでやるとコストがかかるし)

少ないながらも座席夜行の需要はあったろうが、廃止されて新幹線やバスへシフトされたんだか、
それともシフトが先で廃止を余儀なくされたんだか。
まあ後者だろうがな。

17 :名無しでGO!:2006/11/16(木) 20:01:15 ID:uahEdFHU0
>>14
周遊券で旅した“おじさん世代”だから、東北夜行は数え切れないくらい使った。
20系「おが」は御存知の方も多いと思うが、当初「十和田」に使っていた編成を「津軽」にコンバートした。
ところが、座席需要の多さを無視した転用だったので、3両の自由席は連日超満員、積み残し続出の事態を引き起こし、
早々に一部寝台の座席解放や臨時「おが」(14系)の運転でしのいだものの、僅かの期間で20系「津軽」を臨時運転の
「おが」と車両の持ち替えをした曰くがある。
件のナハ21は他に「だいせん」でも見られたけれど、ゆったりした見付けの割には幅が狭い感じがしたり、定員が少なくて
年中混み合っていた記憶しかなく、私としては意識して避けていた車両だった。静かで雰囲気は良かったんだけどね。

短距離で、上野発最終の「あづま3号」(福島−仙台が普通列車になるので、「まつしま」ではなく「あづま」を名乗った)「ばんだい」
の夜行はよく使ったね。仙台周辺の移動にも丁度よく、「ばんだい」は本数の少ない日中線や会津線などの1番列車に接続していた。

18 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 14:56:03 ID:B6XDAoU/0
定期列車で異色の東北夜行といったら急行「出羽」かな。上野から新庄経由で酒田まで何と東北で
唯一の気動車による夜行急行だった。しかもこのうちグリーン車も連結された基本の4両編成は、
日中に急行「いいで」として上野−郡山−新潟と運用されていた。他の編成も「ざおう」などに
運用され、「出羽」になると併結編成も含て最大12両にもなる長大編成の58系DCで運転されていた。
深夜の板谷峠をエンジン全開で登っていく騒音はさぞ凄かったんだろう! 果たして眠れたのであろ
うか? でも、実際印象がないから多分眠れたのだろう。
また、深夜に室内灯が消灯されると蛍光灯脇の豆電球が光っていたのを思い出す。

19 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 15:01:34 ID:MQGvMf6AO
>>11
デッキ越しに見える部分は青ではなくクリームでは

20 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 19:37:41 ID:JTwnYGkB0
時期は忘れたけど上野に20系津軽を始めて見に行った時
出入り台まわりはまだ乗れぬ乗客が通勤電車のようにあふれていた
なにかトラブルでもあったのかと思い
写真を撮っていた若いマニアに質問したら
>>17のような事を教えてくれて驚いた事があった

21 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 23:19:41 ID:qbJeHi+xO
>>19
時期にもよるけど、58牽引時代があったはずなので、必ずしも間違いとは言えないのでは?

22 :名無しでGO!:2006/11/18(土) 23:58:07 ID:aNNMgp1x0
>>18
年に4〜5回は「急行 出羽」を使った。
確かにうるさいが それを克服するには昼間トコトン起きて体を疲れさせて
夜 強引に寝るという方法をとっていたが。
でも あの距離と区間でたくさんの夜行列車が 設定されていた当時を 
今 羨ましく思ってみたりして。
今あったら土日きっぷや 3連休パスの重要アイテムになっていただろうに。

23 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 00:52:15 ID:6Qi9NkV50
良スレハケーン

中二の春休みに名古屋から東北ワイド使って東北回ったときの宿代わりが東北夜行
0泊目「きそ」直江津行き(まあ東北じゃないが許せ)名古屋-直江津
1泊目「八甲田」福島-野辺地
2泊目「八甲田」野辺地-郡山(本当は青森から「津軽」の予定がアクシデントで「八甲田」に)
3泊目「津軽」郡山-東能代
4泊目「十和田」青森-小牛田
5泊目「十和田」平-盛岡
6泊目 秋田のビジネスホテル(親に「せめて一泊くらい…」と言われて、いわれなかったらもっと続いた鴨)
7泊目「十和田」青森-原ノ町
8泊目「天の川」(これも一応東北夜行?)酒田-上野
9,10泊 田無にいた転校した友人宅に居候
11泊 大垣夜行で帰名

今更ながらよくやったもんだ
結局その時「八甲田」14系,20系「十和田」、津軽(2編成あった内の両方)、天の川は制覇したから
当時として乗り損ねたのは12系「十和田」と「鳥海」、「出羽」、「新星」、電車急行の「いわて」、「ばんだい・あずま」
書いてみたら結構残ってたな、でも当時既に仙台で新幹線の試運転見えたから残りへの乗車はかなわぬ夢となったが

24 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 02:51:49 ID:grpYqNA60
集団就職列車をフカーツ汁!

25 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:36:41 ID:LKI8Fv9Z0
>>23

自分は夜行の返しは北海道と九州しかしなかったです。
失敗したら発駅ですから。
寝過ごして上野に戻ってしまったら乗り過ごしで戻れるんですかねえ?
B券とられておしまい?

26 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:47:49 ID:bUuJ2Y7bO
消防の頃、オカンの実家のある宮古に行くのに八甲田に乗った記憶がある。
以外と空いていた。
窓の隙間から雪が侵入して積もってたのは今でも覚えている。
眠れなくて、それで親指大位の雪だるま作ってた。
そしたらどこの駅だか覚えてないが、車掌さんがホームに連れ出してくれ
て(運転停車だと思う。もちろん両親の了解済)一緒にホームに積もった
雪で手の平サイズの雪だるまを作った。
些細なことだけど、すごく楽しかったなぁ。

27 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:58:19 ID:qPA1ezB+0
>>23
すげぇ・・・。
でも、いつ風呂に入っていたんだ・・・。

28 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 13:32:41 ID:eS2mvdJB0
>>23
20系十和田だと原ノ町着は3時前だったと思いますが、そこからは5時前発の十和田5号(12系)へ折り返し乗車?
もしくは6時発の客レ青森行乗車ですか??

29 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 13:54:19 ID:ksxKEnc10
別に張り合っても仕方がないが、昔の周遊券で旅した年代は「夜行連泊」など当然だった。私だって
周遊券の有効期限一杯全て夜行で繋いだことなど珍しくもないし、最高69連泊なんてこともあった。
ホテルやYHなどまず泊まったことはなかった。
でも、東北は正直夜行で動くのは辛かったね。というのも、上りは大体青森や秋田など自由周遊圏内に
あった駅だったので、利用は容易かったが、下りは殆どが上野発。従って、乗ろうと思うなら郡山、平
(現在のいわき)など途中駅からの乗車になってしまうので、混雑時だと席の確保に苦労した。
その中で「八甲田」は仙台−青森の増結車があったりして重宝したが、程なくオール座席になってしまい
これもなくなった。だから、わざわざ始発駅まで戻ったりしてそれなりの苦労はあった。
でも、上りでも上野に早朝着くので、周遊券のエリアの端の郡山には深夜から未明の到着で、寝過ごさぬ
よう落ち着けなかった記憶がある。ただ、駅の構内には「福家」とか言ったと思うけど、食堂が24時間開
いていて重宝したな(当時は終夜営業の食堂などまずなかった)。
それから、長期間夜行連泊する場合の風呂だが、さすがに毎日とはいかないが、それなりに駅に近い銭湯を
チェックしていたので、そこで2〜3日毎に入っていたね。ただ、幸いにもあまり汗をかく体質ではなかっ
たので、そんなに苦労はしなかった。ま、そういう話をすると止まらなくなるので、とりあえずこんな所で。

30 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:00:19 ID:qPA1ezB+0
>>29
やっぱり銭湯や温泉施設などに詳しくなるのは鉄ヲタならではなのだなとオモタ。
趣味と実益を兼ねて。漏れもそうだが。

31 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:05:01 ID:+Hs+sdUe0
夏休みと年末は、連日上野駅13番線で積丹かもいYHの見送りをやっていた。
桃岩も毎日来ていた。

32 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:10:26 ID:90FePfrH0
夜中に福島で津軽・八甲田の「相互乗り換え」をよくやった。
まだ「東北ワイド周遊券」があった頃の思い出。

33 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:52:54 ID:qp7Cbsy5O
漏れが厨のとき初めてワイド周遊券握りしめて乗ったのは季節列車の十和田1号。
当時豪華な14系座席車に乗りたかったのでこれにした。
帰りはスハ43の鳥海で特急型と旧客の両方に乗れた。


34 :名無しでGO!:2006/11/19(日) 20:25:53 ID:ksxKEnc10
>>30
同感だね。鉄ヲタは銭湯とか温泉、今だったら駅周辺のコンビニ事情、立ち食いや吉野家、マックなどの
ファストフード事情にも異常に詳しい!(笑) 複数の鉄の仲間に1つ尋ねるといくつもの“答え”が返
ってくるね。
かく言う私も深夜で夜行を乗り降りしていたから、深夜の駅前事情には異様に詳しかったと思う。でも、
当時は深夜営業をしているのは本当に少なかったから、冬など寒い待合室でじっと何時間も待たなくては
ならないのもしんどかったな。東北は先の郡山の福家食堂は重宝したけれど、当時深夜に入れたお店は圧
倒的に「ミスタードーナッツ」だった。…というか、これしかなかった。あとは飲み屋だけである。
コーヒーとドーナッツ1個で朝まで過ごしたことも多かったね。
さて、東北夜行で地味な存在だった急行「新星」。上野−仙台という短距離ながら最後まで「寝台急行」
の看板を下ろさず走り続けたが、この「新星」は上り列車の場合発車の2時間近く前の21時30分から使用
ができた。全車寝台だったので乗ったことは2回だけだったが、このサービスは少しでも寝台料金分元を取
ろうと早めに乗車したものである。10系、20系時代1回ずつ乗車したけれど、20系時代にはエンドがいつ
も切妻のナハネフ23だったのが残念だったな。列車名表示器も「急行」「EXPRESS」だけだったし(20系
の当時の急行は、特急と区別する為かあえて列車名を入れなかった)。いつだか、583系に寄る「懐かしの
新星号」というのが運転されたけれど、583系で「新星」が運転されたことはない。

35 :23:2006/11/19(日) 22:47:05 ID:6Qi9NkV50
>>27
厨房だったからねぇ、夜行で移動の日程中は殆ど入らなかった、今だと1日1回最低限シャワー浴びないと加齢臭が(w

>>28
20系十和田に乗ったのは平からの下り、盛岡に5時くらいに着いて山田線の始発に乗ると岩泉線に乗れた
上りで乗ったのは全て14系十和田



36 :23:2006/11/19(日) 23:40:02 ID:6Qi9NkV50
>>25
当時の東北夜行は春休みと言うこともあって結構混んでて(想定はしてなかったが)爆睡できる状態じゃなかった。
うつらうつらして、車窓を見て「ここどこ?」を繰り返す内に目的地って感じ。
やはり寝不足だったらしく最初の内は昼間の乗り鉄区間は起きてて今でも結構記憶にあるが、
後半はついつい寝てしまって単なる移動になっちゃった区間が結構出た

37 :JR死酷:2006/11/20(月) 05:51:50 ID:CE6wBZqa0
ワイド周遊券による夜行連泊はよくやったけど、東北夜行は宿代わりには不向きでしたね。
やっぱり周遊エリアの関係で、真夜中に降りたり、混んだ列車に途中から乗るのがネックでした。
夜行連泊はエリア内で完結する九州や北海道が多かったです。
東北の場合、当時ままで連絡線があり、青森駅の待合室が終夜開放だったので、専らそこを使ってました。

38 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 19:17:49 ID:EfqMMlkS0
>>10
ムーンライト八甲田をキボンヌ イイ!



39 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:19:10 ID:Wm8WD+EK0
まず実現できそうなところは、上野〜仙台に常磐線経由でも東北線経由でもいいから、
夜行快速の定期的な運転かねぇ。
「ムーンライト仙台」みたいなのをもうちょっと運転日を増やしてくれれば。

もしくはJRQ方式に「ドリームひたち」。

40 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:21:00 ID:aqiUDqoE0
懐かしいな
10数年前郡山に行くのによく上野駅から乗ったよ
特急型の車両だった記憶がある
すごい時間も長くかかった記憶がある


41 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:22:12 ID:aqiUDqoE0
あれって八甲田だったのかなあ
上野を出るのが夜の22時以降だった気がした


42 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 21:06:31 ID:uqP4zP/cO
>>39
ムーンライト仙台、設定は悪くないけど停車駅と車両が現行のままじゃね…
せめて宇都宮客扱い停車、車両も485か651にしてもらわんと身動き取れずに拷問だよ。
(ムーンライト仙台に乗った次の日足が変になった)

43 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 21:59:05 ID:2TAnDH7k0
>>41
上野が22時以降なら「津軽」じゃないですか? 「八甲田」は19時過ぎに上野を発車していました。
「ムーンライト仙台」は走ればそれなりの利用はありそうですけど、多分に車両の問題なんでしょうね。
仙台に定期的に運転する485系などの車両の配置がなく、それだけの為に専用編成を維持するのも不経済
なんでしょう。昔、臨時で同区間を急行「ミッドナイトスター」というのが走ったことがありますが、定
着しませんでした。まぁ、あの程度は新幹線に乗って下さいということなんでしょう。今は夜行バスも充
実していますから、一時的な臨時はあっても日常的に運転するのは難しそうですね。せめて18きっぷの使
える時期には一仕事終えた「赤べぇ」が走ってくれると良かったんですけどね。

44 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 22:01:08 ID:aqiUDqoE0
津軽だったのか
これ青森までいくのかすげーなあって当時思っていたよ。
いつも空いていたなあ。
停車駅はどこだったかもう忘れちゃったなあ。


45 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 22:59:09 ID:wG/aSaYN0
>>43
十数年前だと八甲田の上野発は21時半過ぎだったと思うけど。で、14系だったし。
津軽が22時半過ぎかな?


46 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 23:22:57 ID:+jtgPpiS0
ムーンライト仙台、スーパーひたちの付属編成で実現できないかな?
仙台滞泊編成で上り、尾久滞泊編成で下りを運転すれば・・・と妄想中。

47 :名無しでGO!:2006/11/20(月) 23:53:53 ID:dZOKxMDE0
会津若松行き「ばんだい」も忘れないで欲しい。
厨房の頃、終焉間近のC11に会いに行くために何回か乗車した。
午前6時頃に会津若松の1番線に着くと、2番線にはC11+61系客車2両の熱塩行き621レが待っていた。
・・・・あの日に帰りたいな。


48 :43:2006/11/20(月) 23:59:46 ID:2TAnDH7k0
>>45
そうですね。「八甲田」が上野を19時過ぎに出ていたのはもっと“大昔”でしたね。失礼。
>>46
651系は水戸支社の車両ですよね。その車両が支社管内を通らず東北本線を通るのには結構抵抗がありそうです。
今は支社相互でも車両の使用に関しては別計算のようですし、かといって常磐線は夜間の列車が全廃になり、
運転要員の配置が基本的になくなったと聞いたことがあります。ですから、常磐線経由の夜行も考えられないで
しょうから、理屈では出来そうなんだけれど実現は難しいでしょうね。水戸支社自慢の車両を他で汚されたかな
わないということもあるでしょう。
そういえば、651系の他線への出張はほとんどないですね。多客臨で覚えているのは「オーク嬬恋」くらいだった
かな(吾妻線万座・鹿沢口−日立だと思った)。あと伊豆急下田へ団臨で入ったこともあったと思いましたが、
思いつくのはそんな程度。

49 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:06:02 ID:786DB3XI0
ひさしぶりに金八スペシャル新15の母(S62放送)を見たら
終わりの方で急行八甲田が出てきていた。
客車急行亡き今となっては涙が出るほど懐かしかった。

現在仙台ゆき夜行高速バスが郡山や福島で客扱いしているのがせめてもの救いだろな。
長野・松本方面はバスすらなく、早朝に着きたいときマジ困っている。

50 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:15:42 ID:biPTy/R+0
急行津軽
缶ジュースを2本買い、飲み終わった後にシートを持ち上げ、缶をはさむ。
あら不思議。
肘掛までシートが持ち上がり、リクライニングベッドの出来上がり。

51 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:36:14 ID:+ZFAHXJA0
>>50
…で、うっかり油断して寝返り打とうものなら、
大音響とともにベッドがこけて椅子もろとも床に転がり落ちる。
静寂を破った張本人へ周囲の睨むような視線…。
したたか腰を打って痛いのも我慢しながら、ごまかしの照れ笑い。

52 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:50:58 ID:biPTy/R+0
そのとーり w

53 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:54:11 ID:+ZFAHXJA0
>>49
今東京−仙台・山形で深夜に郡山・福島などで客扱いしている東北急行バス。これは歴史が長いんだよね。
確か東名高速が完成する前からあったと思ったけど、間違っていたらスマン。
とにかく、東京駅から国道4号線をひたすら北上して仙台や山形へ翌朝に着いた。
途中には岩槻とか須賀川とか妙な所でも客扱いしていたのもその名残り。ただ、最近この停留所の扱いは
廃止になって東北道を北上するようになった。でも、郡山や福島、白石などこまめに停車して行くのは
昔ながらだね。
初めて婆ちゃんの郷里の仙台へこの夜行バスで行った。もう相当の“大昔”。何せ瀬峰の駅でD51の牽く
貨物とナローの登米鉄道だったかな、その2ショットの写真もあるくらい。帰りは夜行の「第4みやぎの」
(だったと思う)だからね。年齢がバレるというもの。
この時初めて目にした「時刻表」がその後の運命を変えた!

54 :雨男:2006/11/21(火) 01:02:35 ID:xBzuD5XxO
ワイド周遊券世代です。
八甲田の自由席確保するため上野駅13番線に夕方頃から
並んだのを思い出します。あのホームに並んでると旅の始まりって感じで
凄くワクワクしていたのを思い出すなあ。

55 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 01:06:46 ID:biPTy/R+0
>>54
ワンカップを片手に、列車を待つオヤジ達の姿がなつかすい。

56 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 04:20:41 ID:/TMzziRO0
あのバスにもよく乗ったなあ
郡山に深夜2時ごろに着くから駅から歩いて借りていた部屋に帰るのが面倒だった。


57 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 09:08:12 ID:T0c5z0WLO
>>53
夜行山形行きと夜行仙台行き1便のみは、まだ岩槻とかも経由していたと思ったけどね。
他便はすぐ首都高に入ったが、それらの便は岩槻インターから東北道に入ったから。
少なくとも自分が2000年に乗った時には、極力一般道を走る便はあったけどね。
(山形行きは福島から先国道を走っていたし、
仙台行きは白石から先がそうだった。)

まあ夜行列車が新幹線と言う形で進化したなら、
バスは高速道経由との形で進化したと言うべきかな。

58 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 10:57:35 ID:+ZFAHXJA0
>>57
そうだね。念のためにHPで見てみたらまだ残っていた。東京から上野、浅草、北千住、草加、新越谷、
岩槻と停車して次が福島だ。山形線は須賀川、郡山がこれに加わっている。
でも、確か少し前までは岩槻辺りまでの短距離でも乗れたような記憶があるけれど、今は下りは
乗車のみ、須賀川以遠は降車のみの普通の高速バスのスタイルになったみたいだね。
だけど到着地エリアのこまめな停車は多いけど、沿線をこまめに停車して行く夜行高速バスは今時珍しい存在だね。
それだけ歴史が長いということか。

59 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 11:53:41 ID:SKxe+ulM0
>>58
途中エリアの利用者には 嬉しい配慮だね。
ただ反面夜行バスだから深夜乗降停車されると 寝てる人には防犯面で一抹の不安が...
(まあ鉄道に比べると 面が割れてるからその点では安心かな?).......

ここのスレ.....確かに「東北夜行」スレだけど、バスネタいいのか?

60 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 12:14:34 ID:+ZFAHXJA0
まぁ、『東北夜行』としか書いてないから、少しくらいは大目に見て頂くということで…。
でも、ここに書き込む方は「周遊券世代」が多いようですから“それなり”のおっちゃん世代の
ようですな。少しくらいはこんなスレがあって、まったり昔話をするのもいいものです。
でも、若い人から見てどうなんでしょうね?

61 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 21:11:43 ID:1EhqKBW60
年末年始とか、12系12両編成の十和田(定員1000人近く?)でも座れない人がいたりしたな。
人気の高い八甲田や津軽なんかは、これより座席車の編成が短かったのでその混雑たるや。。。

62 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 22:11:06 ID:T0c5z0WLO
自分は十和田アボーンで、八甲田と津軽が14系座席になった以降しか知らないが、
既に東北新幹線が出来た後だったから、周遊券族が集まる時期以外はガラガラの印象があるな。

その後紆余曲折あって臨時化されたが、583系の上り津軽なんか、
座席を引き出して下段寝台にしていても、車掌から注意されないくらいの空気輸送だった。

それすら廃止されて、もう10年くらい経つんだな。

63 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 22:21:26 ID:vg1ajIop0
そういや、98年の津軽って12系だった?忘れた

64 :名無しでGO!:2006/11/21(火) 23:01:55 ID:+ZFAHXJA0
ここを見ていると、周遊券で旅した世代は「夜行」といえば急行なんだな。実際、寝台特急など高嶺
の花だったのは事実。
でも、北海道の往き帰りには精一杯の見栄を張って特急を使っていた。朝青森に着く特急は全てが寝
台特急。しかし、一時期583系で運転される「ゆうづる」の1往復が寝台を造らず座席のまま運転さ
れていた。寝台料金がかからず速く青森まで着ける唯一の座席夜行特急は、ずいぶん重宝したのを覚
えている。
年齢を重ねるに連れ、金銭的に余裕が出てくると自然と座席夜行には乗らなくなって、高嶺の花だっ
た寝台特急が当たり前になった。そしてそれと時を同じくするように夜行の急行列車が消えて行った。
だから個人的には淋しさはあってもそれ程直接の影響はなくなっていた。そして新幹線、飛行機が移
動のメインになり、気がついたら、急行はとうに姿を消し、寝台特急でさえ「あけぼの」1本だけに
なってしまった。
手許に1980年の時刻表がある。これを見て旅をしていた当時、四半世紀後の東北線が普通列車ばかり
になっているなど夢にも思わなかった。

65 :23:2006/11/22(水) 00:01:10 ID:34ZZjSGG0
「天の川」って確か定期の20系で最後の走行中の寝台セット、解体をする列車だった(筈?)
(臨時では「あおもり」辺りが最後?)
それが見たくて東北を離れる旅程をわざわざ酒田回りにした。
肝心の寝台セット作業はあまりに手際が良くあっという間に終わってしまいあまり印象に残ってない(w
作業員に遠慮もあって写真を撮らなかったのもあるが(翌年金星に乗った時は583系の解体作業を
しっかりカメラに納めたが)
新潟で機関車交換+郵便車連結があったはずだが気がついたら既に大宮を過ぎていてあっけない終わりだった。

記憶があやふやだがこの旅行で「きたぐに」の奥羽線区間にも乗ったような気がする
まあ、当時の「きたぐに」は東北地区に関しては昼行急行といった方がよいダイヤだったけど

66 :名無しでGO!:2006/11/22(水) 01:25:17 ID:hdL0szwh0
「天の川」は2回程乗っているけれど、いずれも下り列車。だから寝台の解体をしたはずなんだろうが余り記憶がない。
でも、20系「天の川」と言えば、下り最後尾のナハネフ22が良かったな。車掌室の反対側が広い展望スペースになって
いて、小さな補助椅子もあって過ぎ去る景色を存分に楽しめた。当時はJTなどなかったから、こういうパノラマを見ら
れるのはこの車両くらいだったと思う。九州行きのブルトレでも20系時代はよく佇んでいたものだ。
ところで、寝台の解体そのものは九州ブルトレ等で何回も見ていたので、それ程どうというものはなかったが、583系
の寝台セット・解体は何度見てもあのからくりには感心してしまう。
東北の583系は運転時間が短いので寝台のセットはなかったと思ったが、解体は上野着が9時を回る「はくつる」や
「ゆうづる」で見られた。日付が変わる頃発車して7時を過ぎると解体が始まるため、寝台の使用時間が短く、何か損
をした感じだった。でも、程なく中止され、東北方面での583系の寝台の解体は見られなくなった。

67 :名無しでGO!:2006/11/22(水) 12:09:49 ID:rImB6arCO
MLえちごを使用、羽越線を北へ
あけぼののゴロンとシート
東&北パスで青森まで行き、はまなすを使用


他には新幹線やら北斗星、バスとかもあるが、
現時点での夜行列車(座席車)利用はこれくらいしか選肢がないからなあ。

68 :名無しでGO!:2006/11/22(水) 22:33:53 ID:GnGw5TfR0
ここで寝台列車の話をするのもアレかもしれんが、
ブルトレブームの時期に生まれ、東北本線沿線で育った者には
「はくつる」「あけぼの」が新幹線開業後も長く健在だっただけに
馴染み深い存在だった。(「ゆうづる」も忘れてはいけない…)

それだけに、今や東北・常磐・奥羽の各線を北上する「青森行」の列車が
消えてしまった現実が、なんだか遠い世界のように感じることが今もあるな。

69 :名無しでGO!:2006/11/22(水) 23:05:40 ID:rImB6arCO
北斗星 2往復
カシオペア
トワイライト
以上の列車はある意味別世界なもんだからな。
(北斗星自体は最近目立たなくなってしまったが)

あけぼの
日本海2往復
これも寝台専用(あけぼのにはゴロントはあるが)だから、スレ的にはどうか。

でも今の東北エリアを走る夜行って、これだけなんだな。
あとは年数日だけ、ML仙台が走るかどうか。

70 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 12:33:00 ID:aGsGHv5K0
ある夏の日の夜。東北三大祭りの「竿灯」を見物した帰り、その名もずばり臨時急行「竿灯号」に始発の秋田から乗った。
折から台風が関東に近付いた影響で風が強く、竿灯もあちこちで風に煽られて倒れたりしていた。
しかし、列車は定刻に秋田を出発した。10系寝台と一般客車の座席の編成で奥羽本線経由の上野行き。私は寝台を取って
いた。歩き回って疲れたこともあり、寝台という“贅沢”な空間で程なく眠りに堕ちていた。
ふと周りの静けさに目を覚ますと列車はどこかの駅に停まっている。カーテンをまくると「よこて」の駅名が見て取れた。
時計と見比べるともう2時間以上は遅れているようだ。雨は降っていなかったが風が強いらしく、吊ってあるものが大きく
踊っている。暫くしても全く動く気配がない。でも、乗客は何もそんなこと関知せず熟睡していて声ひとつ聞こえない。そ
こへ最大限音量を絞った車内放送が入った。「台風による運転規制がかかって停車中です。発車の見込みは立っておりませ
ん」 でも、全く車内に動揺は起こらなかった。
その後列車は4時間あまり停車して動き出した。「おはよう放送」が入ったのは米沢の手前。もうすっかり夜が明けていた。
本来であればそろそろ上野に到着しなくてはいけない時間である。放送は米沢駅で臨時の駅弁販売がある事も告げた。米沢
名物の「牛めし」を買ったのはいいが、さすがに朝からきつい。手を付けたのはだいぶ経ってからだった。
福島で新幹線振替えがあるというので、多くの乗客は新幹線に乗り換えた。でも、この列車に乗りたくて乗った自分はその
まま“運命を供にする”。ほとんど人気のなくなった寝台車の車内で、中段ベッドを解体して座席に変え、上野に向けて走
る急行に揺られる。普段夜行ばかりで通る福島や栃木の車窓が妙に新鮮に映る。さらに10系寝台車の中からというイレギュ
ラーなシチュエーションも気分を昂揚させる。
結局終着上野に着いたのは夕方近くになっていた。これが座席だったらしんどかったかもしれないが、寝台車にしていたおか
げでそれ程疲労は感じなかった。「うえの〜、うえの〜」という独特のイントネーションの放送がいつになく耳につくような
感じで響いていた。
ある年の東北夜行の思い出話。

71 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 12:44:19 ID:7zVNJTU90
>>70
10系寝台の「昼行」ですか。ある意味贅沢な旅ですな。
羨ましいです。

72 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 13:46:37 ID:k6ieMyWC0
「あけぼの」はトクトクきっぷ利用者ご愛用列車だから しばらく残るかな?
ただ陳腐化された24系は どうしようもないな。
車両作りには長けているJR束だから231系をベースに寝台or2段式ゴロンと
とか 作ればいいんだが。むしろ交直流寝台電車の方がいいのかな。

73 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 18:51:32 ID:lkwYyA2w0
>>72
束が車両作りに長けているかどうかはともかく。

どこの旅客会社も、新型車投入には二の足を踏んでいるご様子。
東北は東海道山陽スジよりもはるかに条件は良いはずだから、
「あけぼの」あたりに投入してもいいんだがな。

74 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 20:50:47 ID:ZUL0rmzl0
平成5年12月ゆうづる、八甲田、津軽が無くなるということで最終日までの1週間
有給取って東北ワイド周遊券を片手に乗りに行ったな・・・
初日はゆうづるのB寝台の下段で上野から青森へ行った。
それから5日間は東北各地を廻り宿は八甲田と津軽を上りと下りを乗り換えながら過ごした。
運転最終日は上り津軽に乗ったらTV局が来ていて乗客にインタビューをしていて
俺もされるかと思い待ち構えていたがスルーされた。
福島で下り八甲田に乗り換える予定だったが仙台で眠気がしていつの間にか寝てしまって
起きたら宇都宮だった・・・orz
そんな旅の思い出だったな・・・

75 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:00:49 ID:aGsGHv5K0
結局、どの鉄道会社も夜行を走らせるのは一様に「不経済」ということで答えが出てしまった感じだ。
現在など自然災害や事故では長期運休、悪天候が予想される時はいとも簡単に運休。夜行列車の信頼性は
著しく低下してしまった。このまま車両の限界が来た時が命運の尽きる時なんだろう。
でも、そんなに夜行列車って魅力がないものなんだろうか。好きで高速バスに乗っている人がどれだけい
るのだろう。列車が走っていないからバスしか使えないので仕方なく利用しているという人も決して少な
くないだろう。
鉄道会社に頼っても期待は薄そうだから、ここらで規制を緩和して外部の一般企業へ運営を解放して全く
新しいタイプの夜行列車を登場させるというのはどうだろう。運転、整備業務をJRに委託し、営業は第三
者の運営会社が受け持つというスタイルだ。
「あけぼの」「はくつる」、そして短距離の仙台、盛岡など全く新しいコンセプトと今の技術で今までに
ない新しいタイプの夜行列車が登場すればと思うのである。

76 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:29:22 ID:g217i6a90
親戚の家が宇都宮線の間々田─小山間の沿線にあって、
幼い頃(1980年代)はよく泊まりに行った。
田んぼと山に囲まれた小さな集落で、夜は静かになる。
眠りにつこうと布団に入って電気を消す。
遠くからかすかに「コォーーーコトンコトンコトンコトンコォーーーー」という音が聞こえてくる。
あの列車はどこに向かっているのだろう。
いつかぼくも、夜行列車に乗って遠くに行きたいな。
そんなことを考えながら夢の世界へと向かっていった。

結局、東北夜行には一度も乗ったことがないまま現在まで過ごしている。
小山以北はいまだにあまり縁のないミステリーゾーンである。

77 :名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:41:47 ID:aGsGHv5K0
最終日の「はくつる」に青森から乗った。この日だけ「さよならはくつる」と特別な名称が付けられて運転された。
ほとんどファンで一杯になった車内で思わぬサプライズもあった。この日乗務した車掌さん手作りの「乗車証明書」
を配ってくれた。パソコンで作ってプリンターで印刷しただけのシンプルなものだったが、何より思いの入った証
明書に感じた。
思えばこの車掌さんは、この路線を数え切れないくらい往復して来た訳だ。その思い入れなど、単なる「廃止」と
なる事実でお名残り乗車や俄乗車をするファンとは比較にならない重さがあったはずだ。せめてもの自分の気持ち
として作ったのだろう。
青函連絡船廃止の後、同じ年に「青函博」に協賛する形で何ヶ月か復活運航されたことがある。その最終日、これ
が本当の最終運航の函館発に乗船した。そのまま船内ホテルとして一晩停泊して翌朝下船する時、船内案内所に詰
めていた1人の乗務員に記念のサインをいただいた。それは思いもよらぬ達筆で素晴らしい俳句をしたためてあっ
た。そしてその句には、今まで無事に長年勤め上げたという思いの全てが込められている、そんな強烈な感じを受
けた。
記念で配られたりお願いした証明書やサインは数え切れないくらいあるが、この2つの「証明書」は、今まで手に
した証明書の中でも一際印象の残る証明書になっている。
「さよならはくつる」は定刻に上野駅に到着した。しかし、感慨に耽る間もなく東京駅に急ぎ、上野到着後僅か20
分後に出発する八戸延長の初列車「はやて1号」に私は飛び乗ったのである。八戸駅の物凄い歓迎ぶりに、前夜の
「はくつる」のことなどすっかり“過去の話”になっていた。ファンの気持ちなど所詮この程度なのだ。少なくと
も自分の場合は…。

78 :JR死酷:2006/11/24(金) 09:12:35 ID:bnqLRW3Y0
70>
福島で新幹線振り替えがあったとの事ですが、すでに東北新幹線が開業していた時代ですか?
東北上越新幹線大宮開業のS57年11月以降、営業用としての10系寝台車は普通列車用のみだったと記憶しています。
ということは、わずか10往復で東北新幹線のみが先行開業していたS57年夏の話ですか?

79 :名無しでGO!:2006/11/24(金) 20:02:45 ID:SK5xseuQ0
>>75
規制緩和してどういう結果になるかというのは
・・・・・・。異業種を見て、押して知るべし。

TPOみたいなのに夢を託してもいいとは思うが、公共性という点からは
かなり疑問は残るから・・・。

80 :名無しでGO!:2006/11/24(金) 22:00:48 ID:TxdL8hLQO
>>79
現実問題として、やれるもんなのかと思うがな。

車両は自前で作って、車掌や販売部門なども自前でやるとしても、運転士は束に委託との形になるだろうし、
線路や運行システムや駅施設使用料だってバカにならない。

どれだけの車両設備になるか&輸送人数によるだろうが、
仙台までお一人様5万円なんて価格になったら、よほどの物好きじゃないと乗らないだろう。

まあ鉄ヲタが金を出し合って非営利団体を作り、趣味として動かすならともかく、
営利目的ならまず不可能だろうな。

81 :名無しでGO!:2006/11/24(金) 22:51:10 ID:f8vvUTW00
 盛岡へも秋田へも青森へも設定本数が

  昼行<<<夜行


 それだけ夜行が普段の乗り物だった訳だ。

82 :名無しでGO!:2006/11/24(金) 23:05:17 ID:Tq9oj7Nn0
>>81
到達時間を考えると半日どころか丸1日移動日になっちゃってたからね…新幹線開業前
どうしても夜行で有効時間帯を増やさざるを得ない状況ではあったな。

83 :名無しでGO!:2006/11/25(土) 11:40:58 ID:DMLyogHIO
東京からだと、距離的には
仙台=名古屋
盛岡=大阪
青森=岡山
だからね。(若干違いはあるが)

確か当時の昼行特急なら仙台4時間、盛岡6時間、青森8時間だったから、
仙台までならともかく、盛岡以北は移動だけで1日が終わってしまう感覚だったろう。

84 :70:2006/11/25(土) 19:43:14 ID:++ebqJdf0
>>78
御指摘を頂き、改めて当時の乗車記録を引っ張り出して確認してみました。
その結果、貴殿の御指摘通り急行「竿灯」号は10系寝台ではなく、20系寝台車のみの編成でありました。
これより前、急行「津軽2号」に乗車した際に似たようなケースで大幅な遅れを体験した事があり、その
記憶とごっちゃになっていました。
確認もせず思い込みだけで書いてしまいお恥ずかしい限りです。大変申し訳ございませんでした。
ちなみに、その時の急行「竿灯」は20系8両+カヤ21の9両編成で運転されました。定刻は秋田発22:30、上野着9:40
で乗車日は平成元年8月6日でした。横手で折から接近していた台風13号により運転規制がかかり、数時間停車して発車、
最大で黒磯発車が4時間18分遅れとメモがあります。「4時間余り停車〜」というのは「津軽2号」の時のことで、メモ
による記録から推理すれば「竿灯」号の横手停車は2時間半程度の停車だったようです。そして上野には結局3時間54分
まで遅れを回復して到着しました。「津軽2号」の時は正確なメモが残っていないのですが、15時位だったと思いました
から、9時間程度遅れていたはずです。
いずれにせよ、「10系寝台で東北線を昼間乗車した」のは事実ですが、「竿灯」号ではありませんでした。
思い込みでいい加減な事を書いてしまい、ご覧になられている方々に不愉快な思いをさせた事、深くお詫び申し上げます。
また、御指摘を頂きありがとうございました。

85 :名無しでGO!:2006/11/25(土) 22:13:55 ID:gRZtAIMZO
>>83
やはり、上野−青森を所要8時間台で20年以上走り続けたはくつると583系は驚異的だったな…
はくつるは24系になった時点でモウオワタと思ったのは漏れだけ?

86 :名無しでGO!:2006/11/26(日) 12:54:18 ID:XL568O810
>>85
青森発常磐線経由上野行きの夜行鈍行列車も凄いと思う。
確か日本鉄道開通以来、延々昭和40年頃まで走っていた列車
誰知っている人いないかな?うちの遠い親戚の爺さん(当然故人)
が、たまに行商やら上京時に使ってたけど。延々SLなので
当然、嫌気がさすし、さらに食堂車もないので駅弁やら食って退屈しのぎ。

87 :名無しでGO!:2006/11/26(日) 17:36:31 ID:PIzkusPm0
ずいぶん昔の「鉄道ジャーナル」に『421列車よ、あれが青森の灯だ』とかいうタイトルで
上野→青森(奥羽本線経由)の『列車追跡シリーズ』にあったような記憶がある。
さすがに私も夜行時代の経験はないが、後年の福島→青森の昼行区間なら乗り通した記憶がある。

88 :名無しでGO!:2006/11/26(日) 22:42:18 ID:SVTtcNcF0
工房の頃、青森0:02発の上り「八甲田」が仙台に5:30頃着くので、
宿代わりにちょうどよいと、ワイド周遊券を使って夜行4連泊した
ことがある。最後は東京に帰るために十和田6号で上野まで乗った。

「八甲田」は12系だったと思う。
帰りに乗った「十和田6号」は14系座席車で、当時は豪華な特急車両に
乗れたと喜んだものだ。

今はたとえ夜行急行があったとしても、たぶんやらないな。
夜行1泊でもつらい...

89 :名無しでGO!:2006/11/26(日) 23:25:15 ID:UFZW/TMi0
>>86
228レですかね?43・10改正の時刻表には載ってますが、47・3改正版には乗ってないのでこの改正かその前で廃止だったんでしょうね。
取り合えず43・10改正で2時間半スピードアップしてますね。43・10恐るべし。。
主要駅の時刻はこんな感じです
    39・10 42・10 43・10
     212レ 228レ  228レ
青森  8:01  7:58 10:30
尻内 11:08 11:01 12:30
    11:16 11:20 12:35
盛岡 14:31 14:44 14:50
    14:40 14:53 15:21
仙台 20:04 20:04 20:20
    20:19 20:40 20:37
平   0:41  0:34  0:16
     0:58  0:51  0:50
水戸  2:42  2:32  2:32
     3:10  2:40  2:40
上野  5:39  5:04  4:55
※運賃 1430  2090  2090

90 :JR死酷:2006/11/27(月) 06:07:43 ID:vXIyOWPS0
>84
とんでもございません。
いずれにせよ、平成元年頃は、新幹線が上野まで開業していたとはいえ、まだまだのどかな時代でしたね。
繁忙期には臨時夜行もそれなりに設定されていましたし、
奥羽スジでは鈍行客レが幅を利かせていた時代ですね。
あと、米沢の牛めし、「つばさ」開業後は、テレビの旅番組等で何度も取り上げられ
すっかり米沢名物になってしまいましたが、その分パッケージ等やたら凝ったものになり値段も高くなりましたね。
この当時はもっと素朴な駅弁だった気がします。


91 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 09:58:57 ID:v01nYUD60
>>90
コレかな?
ttp://blog.livedoor.jp/ekiben_eqhs/archives/50610740.html

92 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 10:49:10 ID:lBGMpALbO
よく年末年始臨時の八甲田の自由席に乗った。隣に出稼ぎのオヤジさんが座ったりして話かけられたりした。盛岡のホームに長い洗面台みたいのがあって、顔を洗っている人もいた記憶がある。もうなくなっているのだろうな?懐かしい昔の話。

93 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 20:48:31 ID:B4M1clx30
98年の末期でも結構八甲田は乗車率は良かったのに廃止になって残念

94 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 21:20:33 ID:tsu5WLRx0
昔の駅には当たり前のようにあった洗面台。夜行列車で夜が明けると先を争って急いだものだ。
大きな駅ではそれが十分できるくらいの停車時間があった。その頃前や後に連結されていた郵便車や
荷物車では新聞や大きな郵袋がテキパキと降ろされ、やがてその台車はエレベータに載せられ、ホー
ム相互を移動するトラバーサー(?)に吊られて運ばれていたね。駅弁や立ち食いそばに群がる人、
東北だと朝からワンカップ片手に戻って来る人、いろいろだった。

95 :名無しでGO!:2006/11/27(月) 23:24:03 ID:fwxNEu6r0
>>94
トラバーサー→テルハだね。主要駅には必ずあったもんだが、今全国どこにも無いそうだ。

96 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 00:49:46 ID:hHJJdbRjO
八甲田に乗るため上野の10何番線??に実家への土産を持って並んでた。12時近く?になると車内の照明も暗くなったし、朝起きると雪景色で故郷に帰って来た事を実感!バイトが終わってから乗れた。かなりお世話になったし私が乗る時はいつも混んでた。

97 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 01:43:35 ID:pO1YPoDn0
>>95
現役なのはないけど、遺構としてなら残ってんじゃない?
大垣で見たような…郡山とか。

98 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 07:10:55 ID:rARM+CIB0
おお、良スレじゃないっすか!
>>76と同様、沿線側(?)から書き込みます。
当時、久喜の住民だったオイラ。登校途中の楽しみは東北本線の朝の往来
でした。特にこれからの時期、上り夜行列車の屋根は雪が「てんこ盛り」
状態だったりするんだよね。天気の良い朝はキラキラ飛沫が舞ってすげー
きれい。115系とは明らかに違うモードで大宮方面に走り去って生きます。
「一体この列車はどこから来たのだろう」とトオイメをして学校に向かいました。
「一体どこから」って東北本線なんだから東北からだろ >昔の自分

99 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 12:08:32 ID:fm9GnZ6O0
これからの季節、屋根の上や足周りにいっぱい雪を土産に上野に到着した北国からの列車は風物詩でもあった。
カラカラの東京で、この上野駅の線路の辺りだけ置き土産の雪が線路の両側に並んでいた。
雪だるま状態の列車を見ているだけで、ふと乗って雪景色を見に行きたい衝動に駆られてしまう。我慢できずに
特に目的もなくその夜、東北行きの夜行の人となる。
でも、着いた東北は激しい吹雪で駅から一歩も出られない。列車も遅れ、一向にやって来ない列車にしびれを
切らして外に出ても、ヤワな都会育ちの自分にはものの数分でそれが無謀である事を身に染みる。結局暖かい
ストーブのある待合室でテレビをボーッと眺めて時間だけが過ぎてゆく。
それでもその夜の上野行きの夜行列車はちゃんとやって来た。雪のせいでふだんより静かなジョイントの音と
暖房の温もりで、しらずしらずにウトウトしてしまう。
昨日の雪野原が別世界のような都会の眩しい朝陽。このギャップがたまらなくて冬に北へ旅する。

100 :名無しでGO!:2006/11/28(火) 13:20:45 ID:UMsc5D+30
                              ./.
                             /::"
                           //
                  ,..-──-、∴ミミ /  ズギューン!
               ./. : : : : : : : : : ゞ″;;;;ソ;;; 
              /.: : : : : : : : : : : : : : ;;彡・:;;;・
               ,!::: : :,-…-…-ミ: : : : ',・:;・  
               {: : : i '⌒'  '⌒' i: : : : :}  
          .  ./ヾ : | ェェ  ェェ |: : : : :}
           //;;>: :|   ,.、   |:: : : :;!  >>100 氏ね!!!
         /./γヾ: : :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ
         ソ _ソ>'´.-!、,ゞイヽ 二゙ノ イゞ‐´
       τソ    −!   \ ` ー一'´丿 \       
        ノ    二!\   \___/   /`丶、     
       /\  /    \   /~ト、__  /    l \


101 :名無しでGO!:2006/11/29(水) 00:21:10 ID:4v+64cl6O
昭和50年代、急行いわて?もりおか?だったと思うが床に新聞敷いて寝ている人やナントシンジラレナイが網棚?荷物棚に寝ている人が!それだけ混んでた。車掌さんは寝ている人を避けながら歩いてた、電車急行だった。

102 :名無しでGO!:2006/11/29(水) 09:53:38 ID:qJxJ43wd0
>>101
当時はそういう光景は珍しくなかった。
「三等寝台」と称して網棚を愛用していた中央線の山男たち。上で寝ているのはいいが、
下にいる客は気が気ではなかった。
そして洗面所も一杯だった。トイレに行くのもままならなかった昭和50年代の夜行列車。

103 :名無しでGO!:2006/11/29(水) 19:42:20 ID:CXuyxDlb0
>>102
165系救済臨時もそうだった。それこそあの光景が21世紀まで持ったのが凄いわ

104 :名無しでGO!:2006/11/29(水) 19:56:25 ID:OU+fVYNl0
>>103
今も「ながら」でかろうじて残っているというか、盆正月はもっとすさまじい混雑というか。

105 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 01:12:48 ID:6eNkmujVO
帰省時夜行に乗ると朝、駅に着くと家族の人が迎えに来てるのをよく見た。ホームに長靴を履きアノラック着て毛糸の帽子を被ったお爺さんとか、改札の所で家族で待っている人達が、薄暗い早朝なので駅の照明で浮かび上がって見えたりした。家族に合った、嬉しそうな顔があった。

106 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 01:29:57 ID:/abe9oR90
>>105
そういう光景は別に東北でなくても見られたけれど、そう言えば最近は少なくなったな。
手に持ち切れない程のお土産もなく、ちょっとしたバック1つで帰って来たり、再び戻って行く。
迎えに来たり送りに来る家族も、車でサッと来てサッと帰って行く、そんな光景が当たり前になったね。
いつだか、年末の弘前バスターミナルにいた時、次々と到着する東京からの夜行バスを出迎える家族が
溢れていた。雪でバスは遅れ、しかも増車に次ぐ増車で20数台の大編隊なんだそうだ。
必ずしも号車順に来るとは限らないので、待っている家族はバスが到着する度、右往左往して家族の姿を
探していた。そして、やっと本人の姿を見つけると、駆け寄って久しぶりの再会を喜ぶ家族の笑顔。
昔も今もそれは変わらないのだけど、変わっていたのはそれが鉄道の駅ではなくてバスターミナルになっ
ていたこと…。

107 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 06:54:00 ID:8hrel7R80
津軽平野
【作詞】吉 幾三
【作曲】吉 幾三

1.津軽平野に 雪降る頃はよ 親父ひとりで 出稼ぎ支度  
  春にゃ必ず 親父は帰る みやげいっぱい ぶら下げてよ  
  淋しくなるけど 馴れたや親父

2.十三みなとは 西風強くて 夢もしばれる 吹雪の夜更け  
  降るな降るなよ 津軽の雪よ 春が今年も 遅くなるよ  
  ストーブ列車よ 逢いたや親父

3.山の雪どけ 花咲く頃はよ かあちゃんやけによ そわそわするね  
  いつもじょんがら 大きな声で 親父うたって 汽車から降りる  
  お岩木山よ 見えたか親父

108 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 15:03:53 ID:Q9BgvEWC0
>>107
普通に歌えるけど親父=「おどぉ」だな。

109 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 20:25:07 ID:/abe9oR90
「冬の演歌」は東北じゃなければだめなんだな。山陰でも、九州でもなく、かといって北海道でもない。
やっぱり東北なんだ。
でも、JASRACの承認受けとけよ!

110 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 21:34:32 ID:iq0WKW+F0
>汽車から降りる

汽車=津軽なんだろな。
あけぼのだと今一つ感じが出ない。

津軽海峡冬景色の”上野発の夜行列車”がどの列車か結論が出ない・・・

111 :名無しでGO!:2006/11/30(木) 21:41:42 ID:OIs57hT40
>>110
キネ旬「蒸気機関車」で
急行「八甲田」と結論が出た記事を読んだ覚えがある


112 :名無しでGO!:2006/12/01(金) 00:17:05 ID:nwcdUhbj0
>>111
そうなのか。「八甲田」なのか。言われてみれば、まぁ、自然と言えば自然だな。
これは自分もカラオケじゃ良く歌うけど、カラオケの絵は583系「はつかり」の野辺地駅だったりして
急行客車など出て来ないね(少なくとも自分が見たのは)。青函連絡船は大雪丸とか摩周丸だったと
思ったけど。

関係ない話。カラオケで電車の絵が出て来ると、鉄が混じっているとやたら突っ込みがうるさい!
悲しい性なんだな。で、「津軽海峡〜」の後は「函館の女」が定番。これもオヤジ鉄の悲しい性!

113 :名無しでGO!:2006/12/01(金) 21:11:33 ID:CeMxveOZ0
>>112
漏れはカラオケで汽車が出て来ると、撮影場所の推定にかかるがなw

114 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 11:46:49 ID:7JmEM1EIO
郵便車の話が有ったが短い停車時間でも積み卸しやってたな、主な駅のホームの柱などに小さいポストが有り、そこや駅前のポストに出すと早く着くと言う話、噂があり田舎の人はよく駅前のポストに行った。多分直接、郵便車にのせるからと思うが、実際早く着いて驚いた事がある。

115 :JR死酷:2006/12/02(土) 15:38:18 ID:qXVBvUbq0
>111
津軽海峡冬景色が大ヒットしたのは確かS50年代半ば??
まさに国鉄末期、航空機の一般化により長距離輸送が深刻な打撃を受け始めた時期だったと思う。
室蘭電化に伴い、当時の国鉄北海道は、札幌(千歳)中心のダイヤにするべく大改正を行った。
これにより函館は、北海道鉄道の起点から、釧路や網走同様、単なる特急の終着駅的な立場となる。
歌の舞台でもある連絡線は、まだ廃止へのカウントダウンというムードでもなく、瀕死の状態だった。
そして東北は、新幹線開業直前の最後の黄金期だった。
したがってこの歌がヒットした時期、歌の主人公の女性が、マニアで無い限り、青函連絡の上野発夜行といえば
583系「ゆうづる」が一番自然だと思う。絵になるかどうかは別として


116 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 16:32:20 ID:g6pWfNGT0
>>110
多分、奥羽本線を経由する列車のうちのどれかだと思う。

ヒント:
歌手の名字=弘前市内の駅

117 :名無しでGO!:2006/12/02(土) 19:16:40 ID:S2Gr/3v80
「はくつる」が廃止1〜2ヶ月前に青森からゴロンとで上野まで乗った。
そしたら向かいの人もマニアだったので、八戸あたりまで談笑したな。
明朝、宇都宮過ぎて起きてからも談笑して上野で別れたけど、その後3回も
同じ列車で遭遇して、ある意味奇跡だった。

118 :名無しでGO!:2006/12/03(日) 01:13:53 ID:cH3DPNwg0
>>115
昭和52年の大ヒット曲ですね
その本の結論が八甲田なったのは特急車両じゃ旅情が無いんでやっぱ旧客じゃないかって事と
他の列車だと連絡線への乗り継ぎの時間が慌しいから歌詞に出てくる「海鳴りだけを聞いてる」余裕が無いって事
当時のダイヤは分からんが確かそういう理由でしたよ

119 :名無しでGO!:2006/12/03(日) 01:45:24 ID:Zc6IflTK0
>>118
そうだろうね。歌詞の流れで行けば確実に青森で時間があるようだし、すぐ連絡船に接続している
特急だとそんな余裕はない。
ところで、今手許にS54年12月の時刻表があるのだけど、それで見るなら「八甲田」の青森着は6:17。
次の連絡船接続は7:30発の5便だ。でも、これは朝早くてこの歌のような先を焦るような旅ではないようなことを考えると、
次の9:50発の7便か10:15発の17便とも考えられる。ただこれだと青森8:14着の「十和田1号」(季節臨)か
9:07着の「十和田3号」とも言えなくもないね。むしろ時間的にこの方が自然かも知れない。
でも素朴な疑問として、青森駅の桟橋待合室から「海鳴り」はそんなに聞こえたかなぁ?
確かに冬場の時化の時は聞こえなくもないだろうけど、桟橋待合室は当然窓を閉めているだろうし、
外に出て岸壁に立たなければそんな音は聞こえないだろうと思うけどね。
ついでに言うなら、『♪北へ向かう人の群れは誰も無口で…』…ていうのも、それはイメージだね。
結構ガヤガヤしていたし、特急の接続の時は桟橋に向かって皆ホームからなりふり構わず走っていた。
そんな海鳴りだけを聞いている余裕などなっかたよな〜!
…まぁ、変なツッコミ入れても仕方がないですね。良い歌だから余り深く考えず歌いましょう!

120 :名無しでGO!:2006/12/03(日) 02:17:11 ID:5tlMzqBn0
長距離夜行列車にて。高校卒業記念に旅に出た3人の若者は、4人がけの席に座った。
男ばかりの気安さで盛り上がっていると、
「あのう。ここ、あいてますか」
見上げれば、かわいい女の子が一人で立っている。喜んで座ってもらったのは言うまでもない。
今度は4人で楽しく盛り上がった。
若さをもてあましている男と女。夜がふけ、周りの席が静かになってくると、
話は少しずつエッチな方へと移っていった。
「ねえ。一人100円ずつくれたら、ふとももの蚊に刺された所、見せてあげる」
女の子が笑いながらこんなことを言うと、3人は即座に100円を取り出した。
女の子はスカートをめくり、ふとももをあらわに。
「うおー、すげぇ」と、うれしげな男3人。
「ねえ。一人1000円ずつくれたら、胸の谷間のほくろ、見せてあげる」
今度も3人はすぐに1000円を払った。女の子はシャツの胸元を大胆に開けてみせた。
「うおー、すげぇ」
「ねえ。一人10000円ずつくれたら、盲腸の手術した所、見せてあげる」
3人は、待ちきれないように10000円を払った。30000円を手にすると女の子は立ち上がり、
窓の外を指差した。


「ほら見て。あの病院よ」

121 :名無しでGO!:2006/12/03(日) 07:19:00 ID:Tnk1y0AcO
臨時停車して乗客を救急車で搬送した記憶が2回位アリ、いずれも乗客同士の喧嘩での怪我だったと思う。窓ガラスが割られベニヤ板とガムテープで補強してたなー〜。
オヤジの酒が原因?どちらも下りだった。救急車で運ばれ人はとんだ帰省になったはず。

122 :名無しでGO!:2006/12/03(日) 10:43:12 ID:Zc6IflTK0
昔の東北夜行で1つ思い出されるのが深夜の一ノ関駅で駅弁販売があったこと。
全国的に夜行列車が減少して行き、深夜の駅弁の販売などほとんどなくなって来た時代、
恐らく最後まで残っていたのがこの一ノ関と静岡だったかも知れない。
静岡は言うまでもなく大垣夜行の客のため、そして一ノ関は「八甲田」の客のためだった。
もちろんコンビニなどなかった時代、座席主体の「八甲田」だったから、
周遊券族の若者達などでそれなりに需要があったのだろう。

昔ながらの「べんと〜」という立ち売りスタイルで深夜のホームで売っていた。
そしてそれは「八甲田」が臨時に格下げされて運転されていた時期まで続いていた。
時間は多少ずれたが、夜中の1時前後だったと思うが、列車の到着に合わせて駅弁売りのおじさんがホームに立った。
14系になり、窓も開かない車両でどれだけの売上げがあるのか疑問だったが、
私達を含め、数人の列車を待っていた人に1つ、2つと売れていた。

123 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 08:29:59 ID:EbqKMrq20
東北夜行で思い出すのは急行「八甲田」だなぁ。
渡道の時に何度となく使ったことを今でも昨日のことのように思い出す。
漏れが良く乗っていたのは今からちょうど20年前ごろ。
北海道ワイドが学割×冬季割引で確か22800円だったと記憶している。

当時はもう14系客車になっていたが
何と言っても、上野駅13番線の独特の雰囲気と出発前の車内放送が良かった。

「この列車は、急行八甲田号青森行きです。停車駅と時刻のご案内を致します。
大宮21時41分、小山22時27分、宇都宮22時52分、西那須野23時34分、
黒磯23時46分…」
と続き、
「盛岡5時46分、沼宮内6時27分、一戸6時58分、
北福岡〔まだ二戸ではない〕7時4分、三戸7時18分、八戸7時35分、三沢7時58分、
野辺地8時24分、小湊8時40分、浅虫8時49分、終点青森には明朝9時8分の到着です」
(手許にある1986年5月号の時刻表より)
特に、盛岡を超えて、「一戸」「三戸」「八戸」といかにもみちのくっぽい地名が続き、
最後に「野辺地」で止めを刺される感じがした(w
まぁ、目的地はさらに北の北海道だったわけだが・・・

124 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 12:47:04 ID:vwNjW6W40
>>123
若干訛りがある放送が乙だったな…。

125 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 14:26:35 ID:xhHlMZ4H0
>>124
「沼宮内(んまくない)」「野辺地(のへづ)」とかあったね。

126 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 17:45:15 ID:I/dQRiRNO
北に行くんだて気持ちになれたなぁ。

127 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 18:09:25 ID:mMr97h080
>>123
やっぱ北海道へは急行だと「八甲田」が便利だったんだろうな。
座席車のみの編成で青森着が6時と3急行の中で一番早い。
津軽は遠回りだし、十和田は時間帯の良い3号は寝台車主体、座席急行の5号は青森着が昼頃で遅すぎと。。。
夜行じゃないけど もりおか1号 ⇒ しもきた ⇒ 青函航路深夜便 のコースも人気だったとか。

128 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 20:47:20 ID:FAfGIKGNO
八甲田と思ったが冬のメチャクチャ寒い時ドアが氷で凍ってしまい、おじいさんが降り損ねた事があった気がする??
折り畳んで開くドアで氷がみっしり付いたらしい。地元紙にも小さく載った気がする。おじいさんはドアの前でそのまま突っ立ってたらしい。

129 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 21:01:04 ID:+wtx/Lhz0
東北夜行でよく使った列車の1つに「あづま3号」がある。東北へ向かう夜行列車のしんがりを努めたこの列車、
会津若松へ向かう「ばんだい」と併結されて仙台まで走った。仙台行きなのに福島から普通列車になるため、「ま
つしま」ではなく「あづま」を名乗っていた。
仙台に7時頃着くこの夜行は、翌日仙台周辺の移動には好都合だったし、当時お付き合いをしていた彼女に会いに
行く時の定番だった。朝一番の「ひばり」では仙台着が昼近くになってしまうので、もっぱらこの「あづま3号」
を使っていた。ただ、難点は夜行なので眠れず疲れぬこと、身支度を整える場所が余りなかったことが悩みだった。
駅近くのホテルの洗面所をそれとなくお借りして着替えたりしたのも今は想い出。
でも、帰りの「あづま4号」はほとんど使わなかった。上野到着が早過ぎたのと、放浪旅行でもないのに2晩夜行
はさすがにきつかった。
今、「はやて」が1時間半で走り抜けるのに隔世の感がある。でも、距離的に「ムーンライト」のような夜行がほ
しい区間なんだけどな。
そう言えば、東京−仙台の東北急行バスが今月半ばから3900円の格安便の運行を開始するという。言うまでもなく
ツアーバスに対抗した設定便だけれど、これでは益々夜行列車など出る幕がなくなってしまうようだ。

130 :名無しでGO!:2006/12/04(月) 21:16:42 ID:oDDyMnBO0
斉藤清六が青森かどっかの営業から実家(赤羽の近く?)へ帰る際に「八甲田」を利用したらしい(欽どこの頃)
しかし、赤羽到着に気付かず発車寸前にやっと「赤羽だ!」と気付きドアまでダッシュするも
目の前で自動ドアが閉まってしまった。
彼はこのままでは赤羽に戻れないと思ったらしく、

「降ろしてくれ!!」

とドアを叩いたが、かなり力が入っていたらしくドアのガラスを割ってしまった。
ホームに響くガラスの砕ける音・・・おかげで列車は緊急停止、駅員に大目玉を食らったとか。。

131 :名無しでGO!:2006/12/05(火) 14:51:51 ID:rB32CpfTO
ねぶたの時期、三沢のアメリカ人が乗ったり盛岡が23時頃??だったので北上や一関の酔っ払いのサラリーマンも乗ってきた。私の隣の人は寝てしまいコウリヤマ辺りでさわいでいた。結構こういう人いたはず、八甲田の話。

132 :JR死酷:2006/12/06(水) 15:21:16 ID:XIH0g4+o0
私が「八甲田」を利用するようになったのは、14系以降だから、最晩年の時期ですね。
それでも、本当に旅情のある列車でしたね。
13番ホームに近づくと、スハフの騒音が振動と共に伝わってきて「夜行で北へ旅立つんだな」という気分が盛り上がります。
あと、深夜の黒磯〜郡山では、もぐり(無許可)のアイスクリーム販売をやってました。


133 :age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/12/08(金) 02:47:41 ID:K773g3Bx0
太宰治に「列車」っていう、東北夜行を題材にした短編があるよ。
あ、もちろん戦前の東北夜行ね。

134 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 03:19:39 ID:hltnQTX10
読んでいたら懐かしいね。
そのまま上野駅の地平ホームを思い出したね。
夜行の存在自体は否定はしないけど583でムーンライト仙台が上野から
出たときほとんど乗っておらず・・・
ヲタに聞いたら「青春18きっぷが使えない」と寂しい声が聞こえた。
日付変更線がヘンナトコなんで損する感じなんだろ。
それ以来、ヲタはエゴの塊と感じたね。

臨時で津軽の最終日(97.12)八甲田の最終日(98.夏)もともにガラガラだった。
並ばなくてもラクに座れる夜行を見て愕然とした。
臨時津軽の最後の時期は寝台も付いていたのに・・・
結局、走っているっていう満足なんだよね。寂しいけど。
秋田まで4時間、青森も似たような所要時間で誰が今、夜行に乗るのだろうか?
週末に仙台行きの臨時新幹線が走っている。なんとこの発車時間は22:16分。
この時間は臨時八甲田の上野の発車時間。
東京駅の新幹線の臨時仙台行を眺めながらそう自分に言い聞かせている

135 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 09:04:54 ID:4eihX6OyO
乗客のニーズが減ったから無くなったのか?時代が変わり、安い高速バスがうって変わった。でもなんかバスで帰っても感慨が薄いような?
降りる時、恥ずかしいが座席に捨ていった雑誌を探して拾っていた。雑誌の発売日が田舎町は遅かったため友人にやると喜ばれた。田舎の発売日より早く手に入るためだ。他の人もしてた。

136 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 11:07:22 ID:iXQcuN8b0
夜行列車の衰退はあちこちで言われている通り。何れ郷愁の中、演歌のカラオケの中でしか
見られなくなってしまうのだろう。
かつて夜行が10時間以上をかけて走った距離を新幹線が1/3の時間で運び、航空機も安く
一般大衆化した。キメ細かさに安さとそれなりの快適を売りにした高速バスが発達した現在、
陳腐化した「国鉄」スタイルの夜行列車だけが昔とほとんど変わらない。唯一、豪華さを売
りにした一部の列車だけが人の目を惹くだけで、あとは一般人にはその存在すら知られなく
なった。仕方がないと片付けるしかないのだが、夜行列車が主役だった時代を知る者には淋
しい限りだ。

上野駅の地平ホームも今は通勤電車ばかりで淋しくなった。大きな荷物を持つ旅行者であれ
だけ活気に溢れていた時代を、この今の通勤電車から吐き出される人々の溢れる今の姿から
は想像できない。
でも、上野駅でその当時から今でも変わらないものが1つだけある。長距離列車が上野に到
着した時に流れる「うえの〜、うえの〜」の独特のイントネーションで繰り返される“肉声”
の到着アナウンス。昨今は自動音声も多くなってはいるが、長距離列車が到着すると肉声で
このアナウンスが聞こえて来ることが多い。代々引き継がれている到着アナウンスのようだ
けど、これを聞く時、その当時の情景が一瞬だけ蘇るのだ。

137 :名無しでGO!:2006/12/08(金) 11:38:29 ID:iXQcuN8b0
前述に続いて、青森駅のアナウンスも今も独特だな。
「あおもりぃ〜、あおもりぃ〜」って文字じゃあ表現しにくいけど、多分皆さん御存知のはず。
この駅の呼称も昔から引き継がれている。
無機質な自動放送に慣らされた現在では、むしろ新鮮だ。
都会の駅の肉声放送は「お下がりくださ〜い」「電車が来ます」「ドアが閉まりま〜す」「駆け込み
乗車はお止め下さ〜い」などと絶叫するのが“肉声”なのである。

138 :age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/12/08(金) 11:42:52 ID:HjNT1MoC0
>>134
東北ワイド周遊券も無くなったしね。最早、今買える広域エリア乗り
放題切符が、青春18きっぷしか無くなった様なもんだから。

139 :名無しでGO!:2006/12/09(土) 02:10:13 ID:AjTZdbYj0
>>130
斉藤清六の実家(赤羽の近く?)

そのものズバリ赤羽(岩淵町)だな。

140 :名無しでGO!:2006/12/09(土) 22:25:58 ID:ND3lWCrTO
東北道は立派でSAも有りそれに比べ線路は周りもサビシいな。夜行列車が無くなるのを象徴しているようだ。ところで夜行列車で冬、暖房が効きすぎるところがあり夜起きた事があったな。座席の下の方だったか?奥中山付近で止まった?事も有ったような??雪のせい。

141 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 01:11:18 ID:myeUs7lN0
冬場の夜行列車、10系寝台客車で電気暖房の(いわゆる客車の2000番台)寝台は「下段」だけは
絶対避けていた。一度「鳥海」で下段寝台に乗り、まるで「カチカチ山」状態!で一晩えらい思いを
した。余りの熱さに毛布を“敷き布団”にして熱を抑えて、毛布代わりにコートをかけて何とか寝た。
これ以来、冬場の寝台の下段は避けるようにした。
逆に夏場の寝台の上段は冷房が効き過ぎて震えたり、とかく温度調節に悩んだ昔の急行寝台の旅だった。

142 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 10:03:00 ID:J+KDUgwY0
温度調節ネタだけど、過去の悪事をザンゲしまつ。

急行八甲田だったと思うが、冬場は12系(14系だったかな?)でも
暖房効き過ぎで参った経験が多かったので、
暑がりの漏れは、上野で車内に入った時にベンチレーターを1つだけ半開にした。
(天井にアイバーが出ているのですぐに分かるはず)
これで、新鮮な外気も入るし、「頭寒足熱」で一石二鳥マンセーと思っていたら、
宇都宮をすぎるあたりで、前の方から叫び声が。。。

 水 漏 れ し て い る ぞ !

外気との温度差で、ベンチレーター付近が結露し、
アイバーから水が滴っていたのでした。

あの時、滴を受けたお兄さん、ごめんなさい。

143 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 13:22:47 ID:FImbqdWn0
>>142
お、お前かっ!

144 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 14:53:06 ID:cajfgkkzO
>>141
去年だったか、583ゲレデン蔵王に下段に乗った。
暖かくて「こりゃいいや」と、大宮過ぎた辺りでウトウトした。

…いつの間にか砂漠にいる。じりじりと照り付ける太陽に、
「やべぇ、涼しい所に逝かないと死にそう」と思ったりしていると。

ぐはぁっ!と口で大きく息した時に目が覚めた。
全身がとても熱くなっていて、汗びっしょり。口の中もネバついて喉がカラカラ。
その後はヒーターのある隙間をハンカチや替えのシャツで埋め、
身体を車体にくっつけるようにして熱を逃がした。
目が覚めたのは黒磯停止時。その後寝付けられず、寝そべりながら外をみていた。
須賀川あたりからだったか、曇1つない夜空に月が右に左に動きながら見える。
これぞまさしくムーンライトだなあと思いつつ、いつの間にか再び意識が飛んでいった。

145 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 19:17:12 ID:3t+EHIbo0
>>142
オレもあまりに暑かったのですぐ後ろの席上にあったレバーを動かして"全開”にしたら、真下の席のおじさんに怒られた。
ベンチレーター真下の席だと、寒い位らしい。

たしか59年1月4日発の下り津軽増10号車での話。
Uターンラッシュとは反対の列車なので、さぞかし空いていると思いきや、指定席は満席、自由席も10号車までは半分以上乗っていた。
しかし増10号車だけは半分も乗っていなかった。スハフ恐るべし・・・
福島で駅弁売ってたのはビックリしたっけな。思わず買ってしまったけど。
板谷峠の雪景色を見ながら食べた牛めしは、すっかり冷え切ってた。


146 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 20:10:44 ID:myeUs7lN0
晩年の12系や14系の場合、スハフを嫌う人が多いようだけど、自分は割合好んで使っていた。
何故かといえば、やっぱり皆が敬遠するので比較的空いていたからだ。多少のエンジン音など
気動車に乗っていると思えばそう気にもならず、それよりゆったり足を伸ばして行ける方がず
っと良かった。そして大概端っこに連結されているので、余計空いている確立が高かった。

ベンチレーターの開け閉めはさりげなくやったな。でも、確かに真下は結構隙間風のように入
ってくるんだよな。その辺の加減が難しいんだけどね。それと14系も冬場は暑くてかなわない
車両だった。混んでいるとじっと座っているのが本当にしんどかった。暑いとちょっと窓も開
けられる12系の方がまだよかった気がする。一般客車の隙間風にも困ったものだけど。

147 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 21:16:04 ID:6JSmST2E0
昭和60年のゴールデンウィークのこと。
急行津軽で弘前逝きを敢行したのだが、連休中ということで混むことを予想し
発車3時間前に上野へ行くと既にホームに行列が出来ていた。
入線間際には物凄い雑踏と化したホームには鬼気迫るものがあったが、何とか
座席は確保に成功。
しかし先発した八甲田同様、朝の山手線並の混雑で、デッキから溢れんばかりの
乗客でドアが閉まらない!
5分ほど遅れてやっと発車したものの、通路までビッシリと立ち客で埋まり身動き不能。
福島でトイレに行こうとするも車内のトイレは自分の席からは遠く、通路に立つ人々を
掻き分けホームに脱出して駅のトイレで用を足した。
福島発車後も途中駅で若干降りた人が居たものの、深夜に関わらず同じ位の人が
乗り込み、夜が明けて秋田を過ぎても車内の混雑は余り変わらず。
弘前で自分を含めかなりの人数が降りたが、やはり桜が目当てであったか、と思う。
YHで同じ列車に乗っていた人と話をしたが、彼は上野から遂に一度も座れなかった
とのこと。
あとにも先にも、あんなに混雑した夜行列車に乗ったことは無かった。

148 :名無しでGO!:2006/12/10(日) 22:33:27 ID:t67j2rBT0
>>132

東北新幹線の大宮暫定開業の後でリレー号に乗っていたら、アイスクリームの箱を持ったおじさんが
売り歩いていたなあ。

149 :名無しでGO!:2006/12/11(月) 01:32:11 ID:9X8DNgqrO
乗車時間はせいぜい30分程度なのに
アイス売るってのもすごいね。

150 :名無しでGO!:2006/12/11(月) 21:31:48 ID:3TrPrIrDO
上りで親父さんにウォークマンの使い方を教えた事がある、顔はシワだらけで体は小柄だが手の指の骨が異常に太かったのを覚えている。カセットは北島三郎だった。もうあんな人達は見ない。

151 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 15:24:14 ID:ce1JgWnQ0
国鉄時代、年末年始、お盆のピークに東北夜行恒例の列車があった。
といっても、ここで出て来る上野からの夜行ではなく、名古屋から出ていた臨時急行「あおもり」
「あきた」が走っていた。もちろん、普段は名古屋と東北を結ぶ定期列車の設定はなく、帰省シー
ズンのピークに大体方夜行で下りのみ運転されていた。
昔は一般客車の寄せ集め、晩年は12系だったが、名古屋を22時頃出発して米原経由で青森には17
時頃の到着と、なかなかのロングラン列車だった。大阪発の「きたぐに」の少し前をずっと走って
いたけれど、大半は新潟、庄内、秋田位までで降りてしまい、青森まで行く人は僅かだった。
この列車、運用の都合で最終日のみ秋田止まりの「あきた」、もしくは新潟行きの「にいがた」と
して運転されていた(目的地の駅名がそのまま列車名になっていた)。
今、583系の臨時で走る「あおもり」は、元はこの名古屋発の臨時急行の名称だった。

152 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:06:57 ID:stLVe7Px0
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader4/index.php?file_id=0000008139.pdf

ちょっと趣向がズレるかもしれませんが、53・10改正時の青森駅時刻表作ってみました。
上野発車時刻は良く見るので、反対目線で。

しかし、ゆうづる(w

153 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:20:46 ID:h4GMqwyb0
東北線の夜行鈍行はいつ頃まであったの?

154 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:53:59 ID:m8qxTpjX0
昭和57・・・、59年頃らへんまで?
とにかくそんぐらい。

155 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 20:53:39 ID:0ijiE6Mu0
>>153-154
43・10改正だと奥羽線・常磐線あり。47・3改正では残ってない(同じ列車番号で昼行区間は残ってるが・・)。
47・3改正で死んだのかも。

156 :名無しでGO!:2006/12/12(火) 22:58:05 ID:rFKI/0wO0
57年ごろに一ノ関行きの東北本線経由の客レ鈍行があったはず。
ちなみにEF57が運がいいと引いていたね。客レは当然旧型で
ドアから身を乗り出す連中もしてたし、幻想的な景色だし良かった。

ただ、やっぱり普通は夜行に揺られるより特急ひばりか
他の急行に乗る人もいて乗車率は多分年末以外はあまりいなかった。
もし18切符シーズンとかならパニックになっただろうな。消えた時期と
18切符シーズンがうまく利用できず残念

157 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 08:34:53 ID:E8U8KwVg0
>>156
53・10改正で消滅@一ノ関行


ただ、昔の鈍行は編成が長かったんで、逆に今より空いてるかもしれませんね・・・?
鈍行同士の接続もかなり悪かったし、特急退避の関係でかなり鈍足だったので、
たしか途中ワープを使わないと東京を始発で出ても青函連絡船の深夜便には間に合わなかったでしたね。


158 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 09:05:46 ID:d7TYkVoM0
>>155
手許のS47.1月号時刻表には、
●421レ秋田行 上野2242 → 福島557 → 山形911 → 秋田1512
(この列車は、秋田で1421レ青森行きに39分待ちで接続)
●227レ仙台行 上野2220 → 水戸109 → 平354 → 仙台811
の2本があります。
ただ、上は奥羽方面、下は常磐方面なので、純粋に東北本線方面の
夜行普通列車はもうないですね。
この時刻表だと、
かなり長距離夜行普通が残っている(新潟1515→米原450とか)のですが、
東北方面は早くになくなっていたみたいですね。

>>157
一ノ関行123レは
上野1117 → 宇都宮1317 → 福島1734 → 仙台1956 → 一ノ関2300
でした。

159 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 17:49:33 ID:ywBFuFMD0
>>158
421レは同一編成が秋田で列車番号が1421レに変わって青森へ向かったと思います。
123レ一ノ関行きは最後まで残っていた東北本線の普通長距離列車でしたね。電車が幅を利かせ
始めた時代、長い客車を列ねて発車していたのを何度も眺めていた覚えがありますが、とうとう
一度も乗る機会がありませんでした。

160 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 18:47:00 ID:DLAZEoOqO
>>158
常磐線の227レはC62牽引の「ゆうづる」「十和田」撮影の話によく登場する列車だな。

161 :名無しでGO!:2006/12/13(水) 23:49:08 ID:5hLZy9+60
土曜の夜に上野駅で227レに乗車して日曜の明け方に平(現:いわき駅)
で下車して明け方を疾走するC62牽引の「ゆうづる」を撮影していた人が
沢山いた。
日光が少ないので撮影するのに苦労したそうだ。
だけど撮影した後の満足感は大きかった。
黒い巨体に赤いヘッドマークを掲げて青い20系客車を牽引する姿に魅了
されたそうだ。


162 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 08:37:41 ID:Tc90h8x10
>>161
たしか電化ダイヤ改正日の前からゆうでうは既に新線経由でED75が牽引していたらしいですね。
しかし、その新線が土砂くずれ(?)で、使用不能になり急遽旧線ルートを再使用。
当然ED75は使えないので、C62がも使用再開、数日間だけど奇跡の復活と言われたとか。

163 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 09:34:18 ID:RLbiw/2JO
>>162
下りゆうづるは9月中頃からED75牽引になったものの広野付近の土砂崩れで蒸気牽引フカーツ。
急行は原ノ町駅電化の関係で本線上で給水不能(感電の恐れあり)になったため
42年7月頃より原ノ町で機関車交換(蒸気同士、後に電→蒸)を実施。
ただ、上りゆうづるは最後までC62が牽引したハズ。一種のファンサービスだった可能性もあるが。

164 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 17:42:30 ID:TU3VsQEp0
昭和42年9月30日に実施された上りゆうづる最後の釜は
C6223だった。
この機関車の煙突は他の釜より若干短かった特徴がある。
平機関区(当時)のC62の中で性能が良好だったので最も
多くのゆうづるを牽引した。

165 :名無しでGO!:2006/12/14(木) 18:40:45 ID:axJdlB/h0
>>152
実家に昭和53年10月2日改正の青森駅発着時刻表が残ってたよ。
物置の扉の裏を見てみたら、何気に貼ってあったので即回収した。
勿論、臨時列車は載っていないがね。

166 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 01:01:30 ID:nL3uZt+/0

所で、999牽引機だった(?)C62-48って「ゆうづる」を引いた事あるんですかね?

平機関区のゆうづるC62の運用は、かなりキツかったそうですね。
仙台まで下りゆうづるを牽引してそのままトンボ帰りで上りゆうづるだったようですが、
仙台での折り返しが1時間もなく、その間に給水・給炭等を済まさなきゃいけないので、
下りの遅れは厳禁だったとか。

167 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 01:13:56 ID:b2b+xp4R0
14系の八甲田しか経験ありませんが、
精神的に参っていた時期でもあって夜明けの奥中山付近の光景が忘れられません。

168 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 10:24:21 ID:39I+TRGk0
>>166

そうです。48号機は「ゆうづる」を牽引してました。
ちなみに「ゆうづる」を牽引したC62は下記のとおりです。
10 22 23 24 37 38 39 45 46 
47 48 49
このうち「ゆうづる」牽引機会が多かった釜は23、48、37です。
逆に牽引する機会が少なかった釜は10です。状態が悪い釜でした。

ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05
とギリギリの折り返し運用ですね。
高カロリー石炭を使っていたけど運転時間がC62の性能を極限まで追求
したスジなので関係者の皆様の苦労は相当でした。
それでも特急牽引なので皆プライドを持って運用に当たっていました。

169 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 11:29:51 ID:ITrwUSdE0
>>167
オレも仙台での学生時代に結構お世話になりましたね、14系八甲田。
あと仙山線経由いなった津軽。

北海道旅行や、周遊券を使った東京への行きかえりに利用。6時頃到着する盛岡で既に駅弁売ってました。
上り八甲田は週末に乗ることが多かったので、仙台から座れる事は滅多になく、大概デッキの段差に座って上野まで行きました。
大宮で座席に座れたときの幸福感が懐かしい、、、
まあ、どうしても仙台から座りたくて車内で指定券を買った事もあります。たしか1740円かな?
満席の自由席に比べて、指定席はガラガラだったのが、この列車の性格を表してました。

>>168
ED75化後

42年改正              (43・10改正)
平 0:42→5レ→仙台3:00 (平 2:07→2023レ→仙台4:18)
仙台3:50→6レ→平 6:05 (仙台0:33→2024レ→平 2:48)

C62の平坦線での高速性能は凄いんですね。。

170 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 13:55:51 ID:uNTnX3G/0
>>169
42年にED75が「ゆうづる」を牽引するようになったダイヤを
見てみるとC62牽引時代より遅くなっているスジがあります。
75の高速性能がイマイチな部分が出てます。
この機関車は65みたいに貨物で威力を発揮する釜なんでしょうかね?

171 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 14:00:33 ID:YlzPimki0
>>168
ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05


今の時代、1時間程度の折り返し準備なんて大したことない所か余裕ありすぎな運用だね。
電気機関車でも10分もあれば十分な折り返し運用が出来るのを考えたらSLって
かなり手間が掛かるとつくづく思うし、現場の職員も神業だと感動するよ

172 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 15:32:31 ID:uNTnX3G/0
そうだね。
短い折り返しの時間内で給水・給炭・釜の整備をやるから現場の人は大変
だったろうね。

機関区で働いていた人の回想録:
軸重が重いし「ゆうづる」はスピードが速いからロッドの回転部や平軸受
の先台車が酷かった。
夜遅くまで残業して次の日の交番「ゆうづる」にギリギリ間に合わせた事
が何度もあった。
しかし手間がかかっただけに可愛かった。

173 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 22:10:28 ID:xN7kTvxm0
「ゆうづる」のC62は
下りゆうづる→上り第四十和田、下り第二十和田→上りゆうづるで運用されてた。

このため下りと上りでナンバーが違う。(HMは仙台で差し替え)
下りは47・48号、上りは22・23・39号が多用されたそうな。

174 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 22:50:54 ID:KPUaQS9BO
しつもん。そこまで大変だったのに、
何でジーゼル機関車入れなかったの?
SLの方が高速性能があったからなの?

175 :名無しでGO!:2006/12/17(日) 23:34:31 ID:uNTnX3G/0
たしかに。
仙台〜青森にDLを投入したのに平(現:いわき)〜仙台にSLを
入れなかったのは不思議だね。

176 :名無しでGO!:2006/12/18(月) 00:05:01 ID:778k5XDMO
>>174-175
常磐電化の完成までにはそれほど時間がかからず、DL化には給油設備や乗員研修等無駄が多すぎた。
盛岡以北のように連続勾配がある訳でもなく、何よりDD51の製造・配備が追い付かない。
C62でも特急・急行は充分牽引出来たし。

177 :名無しでGO!:2006/12/18(月) 00:28:48 ID:d4ftb60F0
なるほどなるほど。
その結果として仕事や用事を済ませてから土曜の夜に上野駅を出発して
日曜の明け方から1日中SL牽引の客車列車や貨物列車を撮影して日曜
の夜に上野駅に帰れたオマケが付いたね。



178 :名無しでGO!:2006/12/21(木) 21:57:09 ID:ym7TKoAm0
ほしゅ

179 :名無しでGO!:2006/12/23(土) 13:56:23 ID:pvlksxuWO
直接関係ないが夏休みに盛岡に寄ったら昔あかべこ機関車がいっぱいいた機関区がなくなり跡地は草木がボウボウとなり昔の面影が全くなくなっていた。
在来線のホームも寂しく立ち食い蕎麦屋もキヨスクもなかった。夜行列車は遥か昔のノスタルジーの世界だった。

180 :名無しでGO!:2006/12/23(土) 14:26:31 ID:MG/DVLPH0
>>158
それらは荷物車(ついでに郵便車も?)併結でなかったっけ?
各幹線の交通公社時刻表の最後の1〜3行は必ず荷物列車の欄。旅客列車とかぶる区間、かぶら
ない区間があったりで興味津々だった。:小荷物とか駅留の鉄道小包とか、もう死語だよな。

181 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 02:25:45 ID:xSnSvQF5O
>>180
新幹線.寝台特急の荷物便取扱いのルールを結局知らないままだった漏れ。
鉄道荷物を知らない世代にとっては、あまりに非効率だなと思う

182 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 03:22:09 ID:yHncPKDM0
チッキの事でつか?

183 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 10:36:35 ID:AyCRxFAx0
57・11〜60・3の間というのは,東北上越奥羽系統の夜行や急行の廃止に向けた程よい周知期間だったと思う。
もちろん国鉄としてはそのような理由で大宮暫定開業にしたわけではないことは分かるけど,一利用者の実感としてはこのおかげでうまくまとまったかんじ。

もし仮に一夜にして57年11月14日から60年3月14日のダイヤになっていたら相当な混乱を生じていたはず。

184 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 11:22:39 ID:ozYb8PAX0
たしかにそうだね。
少しずつ在来の在来優等を減らしていけば利用者も新幹線みたいな
他の系列に移動していくし。
しかし首都圏から八戸市・青森市へ移動するのに便利な時間帯を走行
した「はくつる」を廃止したのはヤリ過ぎ。
単純に収益だけで算盤勘定するとアアなるんだろうね。

185 :181:2006/12/24(日) 12:01:46 ID:xSnSvQF5O
>>182
そうですん。
宅配という概念がなかったとはいえ、酷鉄駅まで出向いて指定時間までに
取りに行かないと保管料課金されるのは、すごいキム帝国なシステムだ

186 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 12:59:03 ID:ozYb8PAX0
その弱点を見抜いて宅配システム概念を考案したブラックキャットは頭イイね。
首都圏〜北海道でコンテナ貨物を利用する柔軟性もあるし。

187 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 18:34:50 ID:YPg81c+E0
61.10.31に汐留に行ったら、「宅配鉄道便」ロゴの入った荷札シールが
大量に打ち捨てられていました(たぶん実家に今もある♪)
終末期には宅配も行っていたのかな。

188 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 19:30:58 ID:IR7paGKB0
少しでも顧客を掴もうと宅配をやった可能性がある。
人口が少ない地域だと貨物駅が近くに無いのでホームで荷役可能な
荷物列車を利用した企業があるかも。

189 :名無しでGO!:2006/12/24(日) 19:42:34 ID:bFMKwxUQ0
>>187
東京都区内宛ての鉄道小荷物を宅配してもらったことがあります。
1980年。

190 :名無しでGO!:2006/12/25(月) 20:41:29 ID:gWOA+Ifd0
1982.5
宅配便に対抗して国鉄は手小荷物輸送に集配サービスを付加した「宅配鉄道便Q』を開始
1985.5
国鉄は「ひかり宅配便」を開始。手小荷物輸送の集配サービスに加えて、酒屋・米屋・自動車整備業者などと契約し、8500の取次ぎ店を設置した
1986.11
ダイヤ改正にともない、国鉄は手荷物輸送を廃止。また1985年から開始した「ひかり宅配便」の営業を全国21の系列鉄道荷物会社に移管

191 :名無しでGO!:2006/12/25(月) 23:21:34 ID:o5R7My040
>>「ひかり宅配便」の営業
昔に比べると大幅に減少したけど旅客列車を利用した手荷物輸送は
生き残っているのだね。

192 :名無しでGO!:2006/12/26(火) 22:16:48 ID:hnVzzUS2O
郵便や新聞も運んでたんですね。東北では新聞を早く見たくて駅の売店に早朝、買いに行く人がいた。郵便車とか荷物車が連結して…今思えば合理的、人も運ぶし物も運ぶ!夜中、郵便車、荷物車で働いていた人は揺れる車内でよく仕事したと思う。

193 :名無しでGO!:2006/12/27(水) 09:47:07 ID:yavLuABO0
今でも最後に残った千葉の新聞輸送電車みたいのがあちこちにあったね。自分も昔横須賀線沿線で新聞配達を
していた。始発の前、3時過ぎにクモニ83の2両の電車が新聞を満載してやって来て、各駅で束を降ろして行く。
それを受け取って販売店へ運び、区分けをしてバイクや自転車に載せて配りに行っていた。
道路事情がよくなると次第にトラックに変わっていつの間にか消えた。
東北へ向かう夜行列車には「鳥海」とか「津軽」なんかがそういう新聞輸送の列車で、上野駅にはそういう荷物専門の
ホームがあり、次々と新聞を満載した台車を牽引したモーターカーがやってきていた。そして短い停車時間の間に車内に
投げ込んでいた。
色々な行先別のラベルを貼られた固まりがその停車駅毎に降ろされ、地元の配達員の人が受け取って行く姿も、懐かしい
昔の風景だったね。
当然、列車の発車に合わせて締切られる訳だから、ナイターの結果などは地方へ行くとまだ途中までだったり、都内と
紙面構成が全く違っていたりと、結構ローカル色が出ていた。今は支社レベルで印刷発送をしてしまうから、そんなナイ
ターの結果が尻切れ…なんて事はふつうに終わる試合なら最後まで載るようになり、順位や選手の成績も前日までの結果
を見れるようになった。ある面、すごいなと思ってしまう。

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