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日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課

1 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:05:22 ID:7fpzzycD
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、876でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。

2 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:06:54 ID:???
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

3 :楽園の最高裁判長 四季映姫ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:08:47 ID:???

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.

4 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:27:57 ID:7fpzzycD
>●30番ナンバー師団=支那占領地の「治安」師団
>主に1939年に編成され、支那各地の占領地の治安維持を任務としていました。
>師団の人員は常設師団より少なく、1万4千人程度。装備もやや劣ります。

さて山西省に配備された「第37師団」を簡単に検証しますが、1939年に
編成された典型的な「治安(警備用)師団」であることは先に述べた通りです。

それ以前のいわゆる通常師団が、4個歩兵連隊と4個砲兵大隊を保有して、
兵員数の合計が約3万人なのに対して、第37師団はそれらが3個ずつで
(3単位編成)、合計兵員数が1万4000余人に過ぎませんでした。

要するに『半減』している訳です。

5 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/20(水) 23:48:33 ID:7fpzzycD
もっと詳しく比較してみましょう。第37師団は1939年5月に山西省
運城にあった第20師団(龍山)と「晋南地区」(山西省西南部)の警備
任務を交代しています。

この第20師団は「甲編成」の常設師団で、4単位編制(4個歩兵連隊・
4個砲兵大隊)で兵員数が2万8千959人です。第37師団は3単位編制で
1万4404人でした。やはり兵員数は『半減』しています。火力ベースで
言うなら、第37師団のそれは第20師団の「44%程度」とされます。

また「高度分散配置」を前提としているため、機動力と兵站能力においても
著しく劣ることになりました。兵站能力については後で触れるとして、機動力
云々は前スレでも少し揉めていましたが、数字を挙げれば一目瞭然です。

第20師団の保有していた馬匹は7800頭・自動車300台。それに対して
第37師団は馬匹2640頭・自動車89台で、「約3分の1の機動力」です。
これは要するに、治安任務なので一度に大兵を動かすことが無いという訳です。

6 :質問:2006/12/20(水) 23:56:37 ID:sLFh3UQE
ちょっと質問させてください。

中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ網羅的に
知りたいのですが、おすすめの参考文献はありますか?

亡くなった祖父がどの部隊に所属していたのかを知りたいのです。
祖父は「独立歩兵第一(ないし十一)連隊(!?)」と言っていたような気が
するのですが、かなりうろ覚えなので他の情報をもとに絞込めればと思っています。

断片的な話を並べると、揚子江をさかのぼって移動していったことがある、
元日銀仙台支店長が召集されて主計をしていた、と言ってました。

祖父は戦争中のことをほとんど語らず、軍隊手帳も自分で焼いてしまったので
多少でも手がかりになる文献があれば助かります。

7 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:07:56 ID:EVt6+nxd
このように書くと第37師団が「弱小」のように思えますが、決して
そうではありません。1939年以降、新たに編制されて支那戦線に
動員される部隊は、第37師団のような「3単位編制師団」や前スレで
先に取り上げたような「独立混成旅団」が主流になる訳です。

そういう意味で「第37師団」は北支の治安戦や、日中戦争全体を語る
うえでも1つの典型的な部隊であると言えます。

また第37師団は「大陸打通作戦」にも参加し、終戦時には歴戦の部隊と
謳われ、一部の先頭部隊はシンガポールにまで達しています(主力はタイで
終戦を迎えた)。この辺のくだりは『歴戦1万5000キロ 大陸縦断一号
作戦従軍記』(藤崎武男著、中公文庫)が詳しく、前スレでも少し取り上げ
ましたが、ここではひとまず置いておきます。

まあ、師団戦記には「部隊標識である青三角マークを見ると、支那兵が逃げて
いく」と吹聴される程で、百戦錬磨の兵士達の名誉と誇りの象徴だったと言います。

8 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:22:53 ID:EVt6+nxd
まあ第37師団の部隊は、多くの「苦力」(その辺の支那人を徴発)を
連れて行軍していたということで、『苦力部隊』というありがたくない
名称も持っていますがw。

例えば、一個中隊50人(消耗してこれだけ)の日本兵が「苦力50人」を
荷物持ちなどに使っていたという話があります。下手したら苦力の方が多い
くらいです。お役御免の時には、ちゃんと日当分を計算し給料を払って解放
していたようですけど。

>>6 >>中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ
>>網羅的に知りたいのですが 祖父は「独立歩兵第一(ないし十一)
>>連隊(!?)」と言っていたような気がする

大隊なのか連隊なのか分からないのが致命的ですw。

9 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 00:53:51 ID:EVt6+nxd
仮に「独立歩兵第1連隊」であれば、「独立混成第1旅団」(東京)が
当てはまります。しかし日中戦争の初期に「チャハル作戦」などに参加した
後で1938年8月に廃止されてしまいます。その後、旅団自体は1939年
3月に再編制されますが、補充地は金沢ですし、独立歩兵第1連隊はその中に
含まれません。

また「独立歩兵第1大隊」であれば、「独立混成第2旅団」(大阪)に
含まれますが、ずっと駐蒙軍に配属されていますから、揚子江とは関係
がないでしょう。「独立歩兵第11大隊」であれば、「独立混成第4旅団」
(京都)ですが、こちらは第1軍に所属して北支で治安任務に就いています。
その後、1943年5月に一部が第62師団に改編されて沖縄戦逝きですw。

「独立歩兵第11連隊」なら「独立混成第11旅団」ですが、これも
チャハル作戦後に改編されて第26師団(1937年9月)になります。
その後は駐蒙軍に配属されて、太平洋戦争末期にフィリピンに転用されました。

10 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 00:56:19 ID:VhGPHsXq
>>8
連隊といっていたような記憶はあるんですが、なにぶん素人なもんで。

それを独立歩兵大隊のことではないかと考えたのは、前スレでその話が
出ていたのと、ネットで調べても「独立歩兵」に「連隊」がついて名前が近いのは
ルソン島で終戦を迎えた独立歩兵第十一連隊とか、廃止された独立混成
第1旅団(第1次)の独立歩兵第一連隊あたりで、何か違うなと思ったからです。

ちなみに祖父の出生地、住所は新潟県の高田でした。

調べるのはどうも難しそうですね…

11 :10:2006/12/21(木) 01:01:04 ID:VhGPHsXq
あ、すいません。かぶりました。情報ありがとうございます。

教えていただいた情報によると、どうも記憶が違っている可能性大ですね。
部隊名の記憶から辿るのはとりあえずあきらめます。

一般的にいって、この辺の話で入門的・概説的に読める本を
紹介していただけるとありがたいです。

まずは知識を深めたいと思います。

12 :10:2006/12/21(木) 01:06:16 ID:VhGPHsXq
あと、余談みたいな追加情報で申し訳ありませんが、終戦時に祖父は
どうやら中国の北の方にいたらしいです。満州かどうかは分かりません。

それから舞鶴に帰ってきて、コレラ流行のため隔離されていたそうです。

まあ、こんな少ない情報なので調べるのは無理かもしれませんね。

13 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 01:07:28 ID:EVt6+nxd
>>9 は、ちょっと「うる覚え」かつ急いで書いたので間違っていたらスマンスw。
どちらにしても揚子江(中支の部隊)には関係ないですねえ。

どこの部隊がどこに所属していたか、というのは「帝国陸軍〜その制度と人事〜」
というサイトが一覧にまとめてあって死ぬほど詳しいので、そこを参照するのが
手っ取り早いでしょう。

>>中国大陸で行動していた独立歩兵大隊の部隊暦をできるだけ網羅的に
>>知りたいのですが、

ちょっと自分の手に余りますw。秋田書店の「歴史と旅 特別増刊」や
新人物往来社の「別冊 歴史読本」の総覧系の本をまずは覗いてみては
いかがでしょうか? >>6 だけの情報だけでは残念ながら見当がつきません。
誰か他に詳しい方がいらっしゃいましたら情報プリーズ。

14 :10:2006/12/21(木) 01:10:22 ID:???
>>13
ありがとうございます。参考にさせていただきます。

15 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 01:30:57 ID:???
>>12 >>どうやら中国の北の方にいたらしいです。満州かどうかは分かりません。

これまたアバウトな……orz. 舞鶴に帰還してコレラで隔離というのは
何かの戦記本で自分も読んだ記憶がありますが、伝染病の持ち込みを
防ぐべく検査が厳しかったのは、どこでも一緒ですからねえ。

う〜ん。やっぱり無理です。スマンかったw。まあ、支那事変がらみの
戦記本を手当たり次第に読むというのも迂遠なようで近道かもしれません。
あとは出征された地元(高田?)の図書館で資料を探してみては、という
ぐらいしか思いつきません。過去スレでも、地場の図書館などで連隊の
動向の資料を探している人がいらっしゃいました。確か上海・初期上陸戦
についてだったと思います。戦史叢書などでは記述がごく僅かなためです。

16 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 01:38:09 ID:VhGPHsXq
>>15
図書館という手には気づきませんでした。ありがとうございます。
そういえば上越市の図書館にも郷土史コーナーがありました。

アバウトですいません。何しろ祖父は外地での数年間のことについては
語るのをほとんど拒絶していて、わたしたち親族にとっては謎のままなのです。

きっと嫌な経験だったのでしょう。

17 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 01:45:45 ID:???
質問スレいきなよ

18 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 02:05:01 ID:???
>>13 >>どこの部隊がどこに所属していたか、というのは「帝国陸軍〜その制度と人事〜」
>>というサイトが一覧にまとめてあって死ぬほど詳しいので

ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/

一応、ここです。まあ、自分の祖父もシベリアに抑留していたのですが、
親族間では「タブーの話」になっていまして、自分も何かしら聞きたいと
思っていたのですが、その機会もないうちに亡くなってしまいました。

宮沢首相時代に一枚の賞状というか慰労状のようなものを貰って、額縁に
飾ってあったのだけが今も記憶に残っています。

19 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 11:05:11 ID:???
>>13
うる覚えじゃなくてうろ覚えですね
木のうろ、とか町をうろつくとかの「うろ」です
ぼんやりとして定まっていない状態を指す言葉です

20 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 12:59:15 ID:???
そりゃ「人肉食った」とか、「女犯し捲くりました」、「無抵抗の捕虜を刺殺した」というのは語りたくないはず。
大活躍話が聞きたくても傷をえぐるようなことをしちゃマズイだろ。
孫に過去をほじくり返される爺さんの立場に立ってみろよ。

21 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 13:21:26 ID:???
>>20
そんな事ばかり言ってるから
サヨとか在日呼ばわりされるんだよ。
ほのぼのスレにそう言った話いつも持ち込んで来るのお前だろ?


確かおじいさんの戦争体験スレに、お祖父さんの出身地の役場か、厚生省に照会すれば所属部隊が分かると書いてあったから見てみるといいよ。

22 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 14:24:57 ID:???
極限状態で他に食い物無くなったら人肉も食うだろ
捕虜を殺した云々とかも、だからどうしたというレベルの話。

23 :動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 22:37:13 ID:???

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   ずっと探していた佐々木春隆氏(元防衛大学校教授・
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|   陸相補)の『華中作戦』と『長沙作戦』がついに私の
    !γリi.ハiリつ    「ヴワル魔法図書館」に入荷したわ。以前、読んだ
    |,( ll」i l i_|」    同じ著者の『桂林作戦』がかなり良著だったので
    └'i,_ィ_ァ┘      読むのが今から楽しみね。ちなみに通販で入手した
              のだけど、送ってきたのが「佐川急便」なのが玉に瑕w。
              佐川急便は生理的に嫌いなの。むきゅぅ。

24 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 22:43:21 ID:???
長沙の方は持ってるけど、Aさんにかなり厳しかったな。

25 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 23:00:30 ID:e7bUMDLn
前スレから引続き「北支の治安戦」をまとめています。つー訳で >>8 の続き。
>第20師団の保有していた馬匹は7800頭・自動車300台。それに対して
>第37師団は馬匹2640頭・自動車89台で、「約3分の1の機動力」です。

兵数は『半減』なのに、機動力が『3分の1』とはこれいかに?という訳です。
まあ「高度分散配置」の話が続くのですが、とりあえず「前スレの復習」です。

実際の「部隊設置法」は、まず大隊本部や中隊本部がある県城や街を中心にして
「衛星」のように小部隊(分遣隊)を配置していきます。次に本部と分遣隊を
結ぶ道路を建設して「タコ足」のように延ばしていきます。更に分遣隊の駐屯地
同士を繋ぐ道路が作られていく訳です。

記号で表すと『*』『米』がイメージし易いですかね。線が交差する中心が本部で、
1本1本の線が分遣隊を結ぶ道路です。これが第1段階で、次に分遣隊同士を結ぶ
道路『○』『◎』などが作られるのが第2段階な訳ですが、第1段階の『*』と
合体させた図をイメージして下さい。それが高度分散配置の1つの完成形です。

26 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/21(木) 23:29:13 ID:e7bUMDLn
>>25 >>第1段階の『*』と合体させた図をイメージして下さい。
>>それが高度分散配置の1つの完成形です。

頭でイメージしてみましたか? そうすると『*』『◎』を結ぶ道路に
囲まれた地域ができるはずです。「治安戦の理論」とは道路に囲まれた
エリアを中心に日本軍が討伐を行ない「抗日勢力」を平定していきます。

治安が確立されましたら、更に分遣隊の外周「*」を延長して道路を結び、
日本軍の支配地域を徐々に拡大させていくのです。まあ、これはあくまで
理論的モデルですがね。当然、その日本軍の兵力は薄く広げられる状態に
あります。

第37師団(山西省)を例に取りますと、その兵力は1万8000平方キロ
メートルの面積に分散されました。具体的には105の主要根拠地と129の
駐屯地(分遣隊)に配備され、約8万9000の支那軍兵力と対峙していました。

27 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 23:32:26 ID:???
内蒙絡みのハナシが纏まってる本を探してるのですが、オススメの内蒙関係の本ってないでしょうか
1930年代の内蒙が特に詳しく知りたいのですが

28 :名無し三等兵:2006/12/21(木) 23:33:46 ID:???
>>1
アク禁で出遅れましたが、新スレ乙。

29 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:02:33 ID:MiG/WE1v
単純計算しますと、日本兵1名が39人の支那住民が住む1平方キロ
メートルを、6人の中国兵を相手に警備していたことになります。

まあ「治安戦」とは要するに『人数勝負』なところがありますから、
いくら「高度分散配置」を前提に編制されたとはいえ、兵力が半減
しているのは大きなマイナス点です。

また北支那方面軍は、太平洋戦争が始まると師団を引き抜かれたり
二線級、三線級の新編部隊に置き換えられたりで、どんどん治安を
悪化させていますが同じような理由です。要するに兵力が足らんw。

同じころ蒋介石の側で顧問をしていたオランダ軍将校が、「対ゲリラ戦
ではゲリラに対抗する兵士の数を増やすしか解決法はない」と観察して
いるのと奇妙な一致をしています。

とはいえ、日本軍が取った『高度分散配置』とは限られた兵力でいかに治安を
維持するかの1つの答えであり、それなりの効果を上げたのも事実でしょう。

30 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:13:40 ID:MiG/WE1v
>>24 >>長沙の方は持ってるけど、Aさんにかなり厳しかったな。
まあ、後書きを読んだだけでも、

「第一次長沙作戦は練りに練った作戦で、後方も機に応じて追随し得た。
 しかし第二次長沙作戦は思いつき作戦のために情報、後方ともに伴わず
 苦闘を余儀なくされた直接の原因はタマの欠乏にあったのは明らかである。
 タマ無しの恐ろしさが身に染みた。

 無理と知りつつ作戦を指導した人の責任は重い。作戦好きだが作戦下手、と
 言われても仕方ないであろう。ものの限界を弁えねばならぬ。これは結果論
 ではない。見通しの問題である。従って作戦終了直後、これで阿南軍司令官
 は終わりか、と噂した。しかし昭和17年7月に第二方面軍司令官に栄転
 されたのだから、何をかを言わんやであった」

と散々な評価です。まあ、実際に指揮下で戦われた人の話ですからねえw。
ちなみに「インパール作戦か、第二次長沙作戦の二の舞になる」という表現が
あるほど酷い悪戦だったのは事実です(桂林攻略戦続行の可否論争において)。

31 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:25:09 ID:MiG/WE1v
>>28 >>アク禁で出遅れましたが、新スレ乙。
毎度どうもでございます。引続きマイペースで進行したいと思いまふ。

>>27 >>内蒙絡みのハナシが纏まってる本を探してるのですが、オススメの
>>内蒙関係の本ってないでしょうか 1930年代の内蒙が特に詳しく知りたい

内蒙関係は微妙に「専門が外れている」のですがw、慶応義塾大学出版会の
『中国の地域政権と日本の統治』(日中戦争の国際的共同研究1)に収められ
ている「第7章:日本軍の内モンゴル占領と『蒙古連合自治政府』の本質」
(盧明輝著)の研究論文(約20ページ)は割りと上手くまとまっていた
覚えがあります。ただし――、

著者は支那人(内蒙古社会科学院歴史学教授)なので、見出しに「日本の満蒙
政策――侵略計画の推進」なんて言葉がバシバシ出てきますが、支那側の視点で
20ページぐらいの文量でそれなりにまとまっていますから、何かの機会に立ち
読みしてみると良いかもしれません。ちょっと新鮮に感じるかも。

32 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/22(金) 00:33:45 ID:MiG/WE1v
ただし、『中国の地域政権と日本の統治』は新品価格で5670円も
しますし、アマゾンのユーズドマーケットでも3990円が最安値です。

また新刊書店では、都内のジュンク堂書店でも置いてあるか微妙でしょう。
地方では取り寄せしない限り、絶望的かもしれません。ただ自分はアマゾンで
新品を買いましたが、わりと直ぐに届いた記憶があります。

ただ全部読んだ感想は、とても5670円の価値は無かったというもので、
せいぜい2〜3千円がいいところです。決してお勧めはしません。立ち読み
で判断できれば一番いいのですが、先に述べた通り、普通に書店の棚で発見
するのはまず不可能でしょうw。

図書館で読めれば(必要なところはコピー)ベストですが。

33 :名無し三等兵:2006/12/22(金) 08:04:37 ID:???
>>27
内蒙三国志
徳王自伝
蒙塵
あたりかな

内蒙三国志は実際内蒙工作に関わった松井忠雄少佐の本。
徳王自伝はそのまま。
蒙塵は綏遠事件で死んだ小浜大佐の伝記。

34 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 00:37:46 ID:SEkJ71SG
>>29 >>日本軍が取った『高度分散配置』とは、限られた兵力でいかに治安を
>>維持するかの1つの答えであり、それなりの効果を上げたのも事実でしょう。

実際に1941年〜42年ごろは、北支の治安がかなり良化していますので
『高度分散配置』が効果を上げたのは事実です。しかし、当然のことながら
弊害もあった訳です。以下、いくつか例を挙げてみましょう。

第1に、少数の兵力で駐屯していますので「八路軍の大兵力」に襲われたときに
対応が困難です。とはいっても太平洋戦争後半になるまでは、日本軍トーチカに
嫌がらせの「擾乱射撃」を夜中に浴びせてくるのがせいぜいでしたが。それでも
「百団大戦」(1940年:支那版テト攻勢)は言うに及ばず、支那事変初期にも
八路軍の大規模な攻撃を受けて全滅した分遣隊の例はあります。

また1つの分遣隊が危機に陥っても、中隊本部や他の分遣隊からは10〜20キロ
離れていますので、救援や増援部隊を送るのに時間がかかるという欠点があります。

35 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 01:06:45 ID:SEkJ71SG
第2に「兵力を分散配置」していますから、当然のことながら兵力を集中
させるのが難しい訳です。例えば、山東半島の警備任務に付いていた独立
混成第5旅団のある中隊は、1942年初頭の『中隊討伐』(対ゲリラ討伐
作戦)で109名を出動させるのが精一杯でした。中隊の約半数の兵力を
分散した駐屯地の「留守任務」に割かざるを得なかった訳です。

これが1ヵ所に駐屯している中隊であれば150名以上は動員できたでしょう。

第3に、北支那方面軍の「後方関係」の文書が報告していますが、部隊が
広範囲に散らばっているため補給物資が膨大になってしまうことです。
中隊本部から各分遣隊にトラック輸送することを考えただけでも嫌になる
でしょう。また、この輸送部隊がよく八路軍の待ち伏せ攻撃に遭って多くの
戦死傷者を出しました。討伐などの通常の戦闘よりも余程多いくらいです。

道路に障害物が置いてあるからといって、トラックを止めたら警護の
小隊ごと集中射撃を喰らいます。運転席は真っ先に狙われますw。

36 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 01:31:34 ID:SEkJ71SG
第4に、部隊の「訓練や教育」が困難だということです。これも広範囲に
兵力が分散している理由に拠ります。民間企業を思い浮かべてみれば話が
早いでしょう。多くの支店や営業所に新入社員が少人数で配属されれば、
統一的な研修や訓練は難しいです。

1939年9月から1941年7月まで北支那方面軍司令官だった多田駿
中将は、1940年3月19日の訓示で「高度分散配置の現態勢は軍隊の
教育訓練上、まことに憂慮に堪えない」と述べています。

この教育上の問題は、下部の司令部ではもっと早期に痛感されていて、
例えば「独立混成第3旅団(山西省で治安任務)」は1938年7月の
時点で既に「301箇所の地域」に兵力が分散配置されていました。

このため上級司令部の第1軍に「到底初年兵教育を現地において行なう
に能わず」と、その悲惨な状況を報告しています。

37 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/23(土) 01:47:02 ID:???
ここでちょっと話を中座して、北支那方面軍の歴代司令官をまとめて
おきます。

●寺内寿一:1937年8月26日〜。教育総監からの転出です。 
●杉山元 :1938年12月9日〜。近衛とケンカして陸相を辞めました。
●多田駿 :1939年9月12日〜。良識的な「支那通」軍人の代表です。

●岡村寧次:1941年7月7日〜。説明不要。最もメジャーな支那通軍人。
●岡部直三郎:1944年8月25日〜。初代・北支那方面軍参謀長でもあります。
●下村定:1944年11月22日〜。カンジの後に作戦部長を務めました。
●根本博:1945年8月19日〜。終戦後のバタバタで駐蒙軍司令官と兼任に。

38 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/12/23(土) 23:46:20 ID:???
つい先週発売された某ゲームにはまっててすっかり過去ログ編集作業を忘れてました。
何かは御察し下さい(w
前スレのログを収納しました。
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

39 :元32(予備役少佐):2006/12/23(土) 23:53:49 ID:???
>>38
乙であります。

40 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 21:04:59 ID:???
>>39 >>乙であります。
毎度どうもでございます。前スレの最後の方では醜態を晒して恐縮ですw。

>>38 >>つい先週発売された某ゲームにはまっててすっかり過去ログ編集作業を
>>忘れてました。何かは御察し下さい(w

毎度どうもでございます。ue少将閣下のご好意には「感謝感激」でございます。
さて某ゲームとは何でしょう? 自分は家庭用ゲーム機はとんとご無沙汰いたして
おりまして、プレステやサターンで時間が止まっていますw。まあ、ゲーセンで
ガンダム(連ザ)の対戦はやりますが…。正月には実家でストライクフリーダムの
MGプラモを作る予定で楽しみです(笑)。

41 :名無し三等兵:2006/12/24(日) 21:07:54 ID:???
戦国ラ

42 :動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 21:18:37 ID:???
>>40 >>正月には実家でストライクフリーダムのMGプラモを作る予定で楽しみです(笑)。

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   てめえ何余裕かましてんだコラ? 正月にはMGプラモを
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|   作るだ? その前にもっと大事なものがあるだろうがよ?
    !γリi.ハiリつ    大体てめえ、年末進行でカタログもまだ買ってないとは
    |,( ll」i l i_|」    どういう了見だ? ダッシュで今すぐ書店逝って買って
    └'i,_ィ_ァ┘      来い! 「忙しい」なんて理由になんねえんだよ! 一体
              何のために生きてんだコラ!?

43 :動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 21:26:15 ID:???
>>41 >>戦国ラ

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|   『戦国ランス』ね!? こあ、買って来なさい!
    !γリi.ハiリつ    
    |,( ll」i l i_|」   
    └'i,_ィ_ァ┘                    

44 :ヴワル魔法図書館・司書 小悪魔 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 21:49:59 ID:???

    ,. -- 、   
  ,ヘ,´,.、  , ヽヘ 
  ^Y ルレハ)ノリ^   はい、はーい。ヴワル魔法図書館でパチュリー様に仕えて
  /イリ;゚ ヮ゚ノi   います司書の「こあ」こと、小悪魔です(わーい、初登場w)。
  ,へk_〉`λiつ  アレですよ中佐、年末進行でお忙しいのでしょうけど、パチュリー様
 ⌒く_ノ/`i´lj⌒  が不機嫌なのは、例のごとく「マリみて」の最新刊で激変があった
   ゙'ーi_'ォ_ァ"    からですよ。まさか、いきなり瞳子が(ネタバレw)……。コミケの
           1週間前に発売してコレじゃあ、一体どうしろって言うんですかねえ。
毎年恒例のことで慣れましたけど、パチュリー様はサークル参加ですからー。ああ、もちろん
パチュリー様ご所望の本は、私たち司書部隊が買いに走るんですけどー。下手にパチュリー様の
ご機嫌を損ねると、『日符 ロイヤルフレア』をかまされますよ。うーん、冬コミも灼熱地獄で暖かいw。 

45 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 22:37:18 ID:aTgY0PEt
>>36 の続き。
「高度分散配置」の弊害ですが、第5に分遣隊での「風紀びん乱」がよく挙げ
られます。なにぶん中隊本部からも遠く離れた目の届かない場所です。監視の
目が届かないため、士気が緩み、軍紀も乱れがちだったと言います。

「とされます」が、紋切り型の説明ではなくもう少し詳しく検証してみましょう。

分遣隊の勤務とは、言ってしまえば『島流し』に近いものです。娯楽も乏しく
(支那人の集落が近くあれば、また別ですが)十数人の隊員だけで密室に近い
勤務状態です。長が下士官であったり、また少尉1人(幹候出の新米)がポツネン
と混じっていることが「上官暴行」や「風紀紊乱」の原因となることは前スレの
『上官殺害』のテーマでも少し述べました。

また本部から分遣隊の連絡(少人数での移動は待ち伏せ攻撃に遭って危険)も
週に1回であったり、ひどい遠隔地の駐屯地では月に1回程度だったことが
分遣隊勤務者の「疎外感」を強めました。

46 :元32(予備役少佐):2006/12/24(日) 23:02:50 ID:???
>>40
ご苦労様です。

普段、スレに貢献できないので関連情報を。

ご存じかもしれませんが、
森本賢吉『憲兵物語』構成三宅一志、光文社文庫という本があり、
北支の治安戦について、とてもおもしろい記述があります。

もともと『朝日新聞』地方版の連載だったようなので。
それらしい(笑)文章もあるのですが、
元憲兵の森本さん自身が淡々と語る治安戦の実情には、
他の本にあまりないリアリティがあって興味深いです。

47 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 23:17:48 ID:aTgY0PEt
そのような任務ですから、分遣隊勤務というのは中隊本部から適宜交代
要員を出さなければなりません。これは士気の面からも必要とされる事です。
誰しも「辺鄙な場所」に長期間(事実上)閉じ込められていたら気が滅入って
しまうでしょう。これは中隊長がきちんと差配しなければならないことです。

ところが日本軍には「悪兵は他所に出す」という共通の慣習がありましたから、
粗暴であったり上官に反抗的であったり、とかく問題を起こしがちないわゆる
「悪兵」とされる者は、ずっと分遣隊勤務を余儀なくされる訳です。これでは
文字通り「島流し」です。

例えば1つの分遣隊から交代で中隊本部に戻ってくると、1週間かそこらで
また別の分遣隊勤務に飛ばされてしまう。これは堪らない。まあ、これは
極端な話ですが、中隊長の顔を見るのが年に数える程度しかないケースだって
あったのです。こうなって来ると更なる悪循環で、悪兵と見なされた者は
自暴自棄になり、余計に悪兵になっていく訳です。

48 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/24(日) 23:48:49 ID:aTgY0PEt
この辺は中隊長の「器量次第」と言えるでしょう。まあ、人事係准尉にも
よりますが、気がきく中隊長ですと、分遣隊勤務のルーティーンにも配慮
しますし、交代で兵を「大隊本部」の連絡任務にも送ります。

大隊本部はそれなりの大きさの街に位置しますから、「ピー屋」(慰安所)
だってある訳です。ですから分遣隊勤務が長かった兵などをねぎらう意味も
あります。やはり「中隊長の人物」が兵に与える影響というのは大きいです。

また少し話が飛びますが「懲罰人事的」に、一等兵から上等兵に何年たっても
悪兵を進級させないというケースもよくあります。当然、同年兵(同期)は
おろか後輩にも階級で続々と抜かれていきます。しかも分遣隊勤務w。

こうなって来ると「星の数よりもメシの数」と言う典型的な悪質古兵が
出来上がるのが目に見えていますし、本人も出世や上官から何を思われ
ても構わんとヤケクソになると、分遣隊勤務もやりたい放題ができて
良いものだとなってきますw。

49 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 00:04:22 ID:aTgY0PEt
まあ、例のごとく「民間企業」でイメージしてみると早いでしょう。
ずっと地方の出張所勤務でいつまでたっても懲罰的に平社員のママ。

民間なら「とっとと首」でしょうが、軍隊の場合、悪兵だからといって
勝手に「首」にすることは出来ません。まあ、逆説的な皮肉ですがw。
その代わり、積極的に「他部隊に転出させる」などする訳です。まあ、
「悪兵は他所に飛ばす」の原則です。

個人的に言うなら、懲罰的に上等兵に進級させないというのは、どうかと
感じます。人間「現金なもので」昇進などがあると、「アレ。俺、心を入れ
換えて頑張ってみちゃおうかな?」と少しは思う訳です。少しは、ですがw。

札付きの「悪兵」と呼ばれた古年兵が、新しく赴任してきた中隊長に
「もう分遣隊勤務は飽きただろうし、同年兵たちにも会いたいだろう。俺と
一緒に中隊本部に帰らんか?」と言われて感激し、見違えるような模範兵に
なってその後、下士官として中隊の先頭に立って戦った話もある訳です。

50 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 00:21:39 ID:8BjvBs8i
>>46 >>森本賢吉『憲兵物語』構成三宅一志、光文社文庫という本があり、
>>北支の治安戦について、とてもおもしろい記述があります。

どうもでございます。それは未読でしたので今度入手して読んでみます。
まあ、このスレを続けていると、色んな推薦図書を紹介して貰えるので
大変勉強になります。ちなみに今、自分が読んでいるのは少し前に取り
上げた、佐々木春隆著の『長沙作戦』と『華中作戦』です。さすがに
防衛大の元教授だけあって、若年のころの小さな中隊討伐についても
わざわざ戦場図を作って説明しているので、非常に理解しやすいです。

>>44 >>アレですよ中佐、年末進行でお忙しいのでしょうけど、

ハイ。仕事が溜まりまくりです。何やかや心配事を抱えたまま正月を
「まんじりとせず」過ごすのだけは回避したい訳ですw。超時空要塞
ビグザイトにも逝きたいですし。

「まだだ! まだ終わらんよ!!」(色々藁)

51 :名無し三等兵:2006/12/25(月) 14:15:54 ID:???
今古本屋で、「日中戦争―日・米・中報道カメラマンの記録」なる本をゲットしたんですが、写真も満載でお得なのかな?
文章にはまだ目を通してないですがw

52 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 22:32:53 ID:yFYluOku
さて、分遣隊の具体的な「風紀紊乱」ですが、これは前スレの『上官殺害』の
テーマでかなりやりましたので、そちらを参照して下さい。特に北支那方面軍
最大の不祥事とされた『館陶事件』については、Ctrl+Fのキーワード検索機能
を使うと手っ取り早いでしょう。

かといって全く触れないのもアレなので、新しいサンプルを少し挙げておきます。
例えば1939年12月、第1軍の指揮下にある鉄道警備隊のトーチカが支那軍に
襲われました。8名で守備していたのですが、兵士1人を除いて皆、上半身裸で
丸腰であったために、全員そのままトンズラすることを余儀なくされ、武器や装備
も奪われました。

また山西省で治安任務についていた第41師団(宇都宮)の話ですが、ある兵士が
分遣隊の駐屯地から夜な夜な飲酒のために抜け出します。ある日などは、近隣の
支那人の村で行なわれていた結婚式に酔っ払って乱入して無茶苦茶にした、という
話がありますが、まあこの程度は可愛いものですw。

53 :名無し三等兵:2006/12/25(月) 22:37:03 ID:???
前スレ
>ファルケンハウゼンは「頭髪を掻き毟って焦り表した」と言いますw。
http://ww1.m78.com/bio-photo/falkenhausen%20p.JPG
頭髪ないじゃんw

54 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 22:56:16 ID:yFYluOku
そして「高度分散配置」の弊害ですが、最後の第6に、分遣隊の日本軍が
少人数であるがために、地元・支那人を組織して「保安隊」を作ることを
余儀なくされました。もちろん「治安任務」の補助として用いるのですが、
これが使えないったらありゃしないw。

例えば「中隊討伐」などでも兵力が不足する時は、保安隊からも1個中隊
程度の人数を連れて行くこともあるのですが、これが本当に「いないより
はマシ」という程度です。むしろ、いない方が良いかもしれませんw。

とにかく少し戦闘が激しくなると「逃げる・降伏する」などは当たり前です。
例えば、ある歩哨に日本兵1人と保安隊(支那人)5人を付けていましたら、
戦闘が始まると保安隊は真っ先に逃げ帰りました。その後は日本兵が1人で
持ち場を支えていたそうです。

また八路軍も「保安隊」の方が弱くて与し易しと集中攻撃を加えました。
日本軍に協力する『漢奸』ということで目の敵にされたこともありますが、
何より保安隊が所有している武器・弾薬の奪取を目的としていました。

55 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 23:00:09 ID:???
>>53 >>頭髪ないじゃんw

元ネタは『蒋介石日記』ですが、真偽は不明w。写真を見ると頭頂部に
うっすらと毛が生えている気がしないか?(藁)むしろ、掻き毟った
後とかw。

56 :名無し三等兵:2006/12/25(月) 23:01:30 ID:???
>>53
中国のだめっぷりの為に頭髪が無くなったのでは・・・・。

57 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/25(月) 23:29:44 ID:yFYluOku
支那人の「保安隊」からは、隣接する日本軍に「八路軍から襲撃を受けるから
武器弾薬を援助して欲しい」とたびたび要請を受けます。しかし武器を与えても
中共に奪われるのが目に見えていますから、どうしても消極的にならざるを
得ません。しかし一応は味方ですから、無碍にもできない訳です。

保安隊に武器を与えると八路軍に奪われる、しかし保安隊に武器を与えないと
なおさら八路軍にコテンパンにされて、地域住民の不信感が余計に強くなる。
この辺はジレンマ以外の何物でもありません。保安隊を訪れた際に手榴弾の
数発を置いて帰ると喜ばれたと言いますw。

過去スレで取り上げました『蟻の兵隊』で、主演の奥村が暴走するシーンが
あります。とある保安隊が警備地を八路軍に攻められると、ろくすっぽ戦わずに
逃げたり降伏してしまいます。激怒した日本軍は、戻ってきた保安隊の支那人を
処刑してしまうのですが、奥村はインタビュー相手の支那人に対して「そりゃあ、
戻ってくる方が馬鹿だ。日本軍に処刑されて当然だ。どうしてそのまま逃げ続け
なかったのか」と述べて、カメラを回している監督も含めて全員がドン引きして
しまうのですが、このエピソードは「保安隊の性格」をよく表していますw。

58 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 00:14:10 ID:WqnACIGg
まあ、たまに土匪などが集団で日本軍に投降してくると、そのまま「保安隊」に
編入して使うなんてケースもありましたが……。

話が長くなりましたが、以上のように「高度分散配置」(分遣隊)には色々な
弊害もあった訳です。しかし、それでも占領地の「点から線の支配」「線から
面への支配」のためには必要とされた手段だったのです。

また日本軍を各地域に『常駐』(←ここ重要)させることが、占領地における
治安維持ならびに現地・支那人の協力を得るために有効と判断された訳です。
惜しむらくは兵力がまるで足りなったということに尽きますw。

59 :だつお:2006/12/26(火) 02:45:35 ID:14SHFXer
>保安隊に武器を与えると八路軍に奪われる、しかし保安隊に武器を与えないと
>なおさら八路軍にコテンパンにされて、地域住民の不信感が余計に強くなる。

これは要するに「満州帝国」と同じだな。そもそも満人や中国人が
自ら独立独歩で皇軍と共闘するのなら関東軍なんて必要ないんだから。
保安隊に武器を与えるのではなく、皇軍自らが出兵して中国人を
銃剣で支配するしかないというのが現実だった。

この地球上で、中国人ほどに反日でかつ拝金主義で事大主義の生き物
は存在しない。だから皇軍の97式中国チンピラゴロツキ大量殺戮
アウシュビッツ害虫駆除マシーンがやってくると降参するか逃げるかだが、
皇軍が去ってしまうと元の反日チンピラゴロツキに戻るということだ。
中国保安隊が日本人を惨殺した通州事件などはその良い例であろう。

チンピラゴロツキが沢山涌いてくる場所を指して「中国」、
そのひとつひとつを指して「中国人」と呼ぶのだ。

60 :だつお:2006/12/26(火) 03:01:51 ID:14SHFXer
>八路軍から襲撃を受けるから武器弾薬を援助して欲しい

延安政権としては武器供給や重慶政権崩壊は政権奪取のきっかけになる。
やり方はマリアナ決戦を放棄し大陸打通作戦にすべての皇軍戦力を投入して、
延安政権に対しては物々交換と重慶攻略を条件に和平工作を進める。
要するに中国人は事大主義だから、皇軍が強ければよいということだ。
戦略拠点を満州に移し、そこで97式中国チンピラゴロツキ専門大量殺戮
アウシュビッツ地獄大車輪を大量生産すれば完璧。中共に与えてもいいし、
また皇軍自らが搭乗して中国人を締め上げるのもよし。幸い97式中戦車チハ
は対戦車威力がなく中国人にしか通用しない兵器だから、これを与えた中国人
が牙をむいてきても恐ろしくはないはずだ。

61 :だつお:2006/12/26(火) 03:17:02 ID:14SHFXer
>これも広範囲に兵力が分散している理由に拠ります。

そこで必要となるのが「97式中戦車チハ」。

97式中戦車チハは皇軍史上世界史上最も優れた自動車製造技術の白眉。
機械的信頼性と燃費効率と走行性を兼ね揃え、大陸打通3000キロ。
マリアナ決戦を放棄して97式中戦車チハを大量産すれば、重慶も含めて
もっともっと広範囲に大勢の中国人を支配下に置けたはずだ。

62 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 10:32:59 ID:???
すみません質問です。
私は数年前普通高を卒業しましたが、その際日本史の授業で日本軍の残虐ぶりを徹底的に
教師に教えられました。特に中国大陸各地で日本軍が行った重慶爆撃や三光作戦など事細かに
テストされました。中国人女・子供を犯し、殺し、燃やし尽くしたってのは本当なんですか?

私は自分の祖父が中国戦線で戦ったと知っていたのですが、そんな事を祖父はしていたのでしょうか?
心優しい祖父がそんな事をしたとは信じられません。

63 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 11:31:10 ID:7DdCZzdJ
>>62
スレ違い
釣りならよそでおやりなさい^^

64 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 11:54:35 ID:???
M4より弱いチハタン

65 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 15:25:15 ID:7yEdP+Pj
 初年兵教育は、新兵教官が現役の新任少尉級である関係上、なるべく中隊、せめて小隊単位以上でないと苦しい。
 尤も、支那軍ぢゃあるまいし全くの未教育兵が出征することは無いから、幾らなんでも一期の検閲は済んでゐる。
 支那戦線では、三年兵以上が一人前と見られ、補充兵でも二年兵であった。
 よって、初年兵教育が出來ない、といふ話自体が不可解である。
 教育は留守部隊の任務である。

66 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 19:11:21 ID:???
>>63
釣ではありません、本気です。
いろいろな人な意見を聞きたいです、ちなみに祖父に戦時中のこと聞くと学校で教わった事とは
全く逆の事を言ってました。ただ戦闘などの話になると口をつぐんで暗い顔になってしまいます。


67 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 19:51:32 ID:???
>>65
自分のスレに帰れ。

68 :元32(予備役少佐):2006/12/26(火) 19:52:42 ID:???
>>66
日中戦争では、数年にわたって、広大な領域で、
数十万の大軍が戦争を続けました。
便衣兵、八路軍なども入り乱れる状況で、
さまざまなことがおこりました。

あなたがうけた授業は、現代の人が自分たちの好みで、
その特定の一面をひたすら強調したものです。

そんなこととはまったく無関係なところで、
まったく別のかたちで戦争を戦っていた兵士たちもいました。
ほとんど平和にすごした兵士だっているのです。

だから、あなたのおじいさんのいうことを信じて、
なんら問題はないと思います。


69 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 20:06:23 ID:???
>>62
過去ログを丹念に読んで、自分の頭で考えてみることをお勧めします。
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

中国は広大で、膨大な数の日本兵が大陸に出征しました。
あの広大な中国に百万人を越える日本人がいたのですから、そこで起きた
ことは千差万別です。
部分の証言だけ取り上げれば、日本兵を鬼畜とも善人とも、どうとでも解
釈ができます。試験問題のように簡単に答が得られるものではありません。

お祖父様が語ったことと、語ろうとしないことの間に横たわるものが何な
のか、貴方自身が考えることが大事です。

元32さんが挙げられた森本賢吉『憲兵物語』(光文社文庫)は私もお勧めです。

70 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 22:29:00 ID:???
>>62 >>中国人女・子供を犯し、殺し、燃やし尽くしたってのは本当なんですか?

一体どこの誰に話しかけているか判っているかね? 私がカーキ色の帝国陸軍軍装と
参謀肩章を吊っていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ? 一体
何人*したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』
の集団にかね? 三光作戦? 何を今更! 60年ほど言うのが遅いぞ!

よろしい! 結構だ! ならば私を止めてみろ、自称健常者諸君! しかし残念ながら
私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ。私の敵は、重慶の国民党政府!
延安の中共政府! いや! そこに嬉しそうにたたずんでいるお前だ!!

71 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 22:41:22 ID:???
まあ、真面目にレスすると「悲しいけど、これって戦争なのよねー」に
尽きるでしょうw。

まだ土台固めの段階ですが、もう少しスレが進めば「そういう話」も
取り上げる積もりですが。そして何度でも言いますが、

No One Trust.(誰も信じるな) そしてTruth is Out There.(真実はそこにある)

真実はあなたの頭の中にあります。要するに自分の頭で考えなさい、つーことですw。

72 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 22:45:36 ID:???
>>51 >>今古本屋で、「日中戦争―日・米・中報道カメラマンの記録」なる本を
>>ゲットしたんですが、写真も満載でお得なのかな?

日中戦争関連の本は「星の数」ほど出ている訳ですから、個別の本をいきなり
「どう?」と聞かれても返答に窮しますw。

>>元32さんが挙げられた森本賢吉『憲兵物語』(光文社文庫)は私もお勧めです。

そんなに皆さんお勧めの本なら、ちょっと探してお正月にでも読ーもうっと。

73 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:05:48 ID:BMUwRpX6
>>58 の続き。>>また日本軍を各地域に『常駐』(←ここ重要)させることが、
>>占領地における治安維持ならびに現地・支那人の協力を得るために有効

「高度分散配置」をどう表現すればイメージし易いのか考えていましたが、
『交番』に喩えると良いかもしれません。といってもスラムや在日朝鮮人が
ウヨウヨしているような場所ですがw。当然、隙あらば交番も襲われますw。

「治安戦」の最初の方の話でも触れましたが、支那事変勃発当初、日本軍は地方の
小さな町や村を占領しても、作戦の用が済めば直ぐに撤退していく場合が多かった
訳です。あくまで「戦術的な撤退行動」だったのですが、この措置は「占領政策」に
おいて2つの大きなマイナス効果をもたらしました。

●支那側がそれ(日本軍部隊の自発的な撤退)をもって、自分達が日本軍を撃退した
 のだと宣伝すること。
●日本軍が撤退した後、中共などの部隊が直ぐに進出してきて、日本軍に協力した
 住民に対して報復行為を行なったこと。

74 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:23:43 ID:BMUwRpX6
特に後者は深刻です。おそらく日本軍に無理やり協力させられた場合でも、
八路軍に見せしめの『漢奸』として、報復された可能性も高いでしょう。
集団で生き埋めにされた事例は、スレの初めの方で既に述べました。

こうなってくると、一度占領して撤退した地域に再び日本軍が進出して
きても、地域住民の協力はほとんど得られない事になります。消極的に
なるどころか抗日感情に拍車をかけるでしょう。ハイ、ここで結論です。

●北支那方面軍は、一旦占領した地域から兵力を引き上げるのは、
 『治安維持』の観点から望ましくない、と判断したことです。

まあ、ここまで読んできた人の中には「治安維持とは何て面倒くさい」
と思った人もいるでしょうが、本当に面倒くさい訳ですw。いっそ
だつお氏が述べるように、チンピラごろつきの支那人は皆殺しにして
しまった方が手っ取り早くて後腐れがない、と思う時もありますw。

75 :名無し三等兵:2006/12/26(火) 23:27:13 ID:???
>>●日本軍が撤退した後、中共などの部隊が直ぐに進出してきて、日本軍に協力した
>> 住民に対して報復行為を行なったこと。

国外には東洋鬼の蛮行と宣伝できてコストパフォーマンス抜群ですね!!!1!

76 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:40:23 ID:BMUwRpX6
とは言うものの、日本軍は「占領地下」の支那人住民を手なづける必要が
どうしてもあった訳です。これを当時の言葉では『民心を把握する』と
言います。「宣撫」でもいいですし、「歓心を買う」でもいいでしょう。

何にせよ北支那方面軍に限らず、支那派遣軍全体は可能な限り、現地で
自活することを求められましたし、鉱物資源や食料など「戦略物資」を
日本内地に送り込むことも重要な任務とされました。

また道路や陣地(トーチカや濠)の構築も、日本兵だけではとても手が
回りませんから、地元の支那住民を徴発して労働力としました。また
八路軍との戦いでも敵情を把握するため、また少しでも活動地域を削ぐ
ためにも「民心の把握」は最重要とされました。

77 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/26(火) 23:51:50 ID:BMUwRpX6
>>支那派遣軍全体は可能な限り、現地で自活することを求められました

参考までに日本の第13軍(上海・南京)を例にあげてみましょう。
1941年当時、兵数10万人・軍馬1万2千頭の戦力を保有して
いましたが、現地自活率は以下の通り。

●米・乾燥藁100% ●味噌・茶90% ●馬糧用麦・漬物85%
●肉類80% ●甘味品70% ●生野菜・醤油60%

恐るべきことに翌1942年には、上記の全品種すべての現地自活率が
100%となっていますw。

まあ、第13軍は上海・南京という物資が非常に豊かな地域だったために
特別なケースですが、支那派遣総軍は全軍のために、第13軍管内において
米・麦・卵・皮革・綿花・豚毛・建築資材などを大量に買い付けています。

78 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/27(水) 00:11:52 ID:3CbNBhjC
この一事をもってしても、
>>チンピラごろつきの支那人は皆殺しにした方が手っ取り早くて後腐れない

とは言えない事が理解できるでしょう。ある意味、自分で自分の首を絞める
ようなものです。いや、食い扶持をかw。「治安戦」は本当にジレンマです。

日本軍の占領を円滑にするためにも、支那民心を把握することは必須とされた
訳ですが、実は「高度分散配置」とは住民を宣撫するためにも都合のよい部隊
配置だったのです。つーか、それゆえの「分散常置」であり「地域密着」ですw。

「宣撫」とは政治活動を意味しますが、ダイレクトに八路軍対策です。北支那
方面軍は「華北の政務」に携わる権限を認められていましたので、純軍事行動
以外でも対ゲリラ活動を行なうことが可能でした。要するに「切った張った」に
止まらず、他のことも出来た訳です。

79 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/12/27(水) 00:18:27 ID:3CbNBhjC
1939年1月20日の北支那方面軍の文書に、

●華北での戦いを『長期思想戦』と捉え、●それにおける勝利は「武力による
ある地点の獲得をもって終わる」のではなく、●完全な地域の占領は「民心を
把握」したことによって達成される

とあることが全体の状況を物語っています。

*「長期思想戦を認識しての占領地域の科学的経営の概観」
 (北支那方面軍参謀部)より

具体的な方策については、また続くw。

80 :名無し三等兵:2006/12/27(水) 08:59:36 ID:hfxKpV8p
西暦きもい。

81 :名無し三等兵:2006/12/27(水) 12:53:59 ID:???
さうだ!西暦はキモイ
此處は當然、皇紀を使ふべきである!

82 :名無し三等兵:2006/12/27(水) 18:05:28 ID:???
>>80 >>81
旧字爺自演乙
さぁてアク禁要請しよっと

83 :だつお:2006/12/27(水) 18:42:40 ID:QhGLmHwa
>米・麦・卵・皮革・綿花・豚毛・建築資材などを大量に買い付けています。

そこで日本側から売る物は、やはり「97式中戦車チハ」しかあるまい。
97式中戦車チハを満州で大量生産してそれを中国人に売りまくる、
中国人は抗日戦争よりも中国人同士の内戦のために皇軍の97式中国
チンピラゴロツキ専用害虫駆除マシーンを沢山必要としていたであろう。

97式中戦車チハの大量生産こそが大東亜戦争勝利の鍵だったと思うと、
マリアナ決戦なんてなんともったいないことをしたのかと口惜しく思う。

84 :八拾壱:2006/12/27(水) 22:21:16 ID:???
>>82
馬鹿野郎!ワシは八〇と違ふぞ!
貴樣のやうに偏向ヘ育とゆとりヘ育にドップリ漬かつた
無知蒙昧・無學文盲には判るまいがな(笑

85 :名無し三等兵:2006/12/27(水) 23:41:33 ID:???
ポッポー(笑)

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